うま酒の歌」が重ね重ねの機縁となって鶴見を刺戟した。刺戟されたのは久しく眠っていた製作欲である。鶴見は物に憑《つ》かれでもしたようになって、しきりにそれを不思議がっている。
 しかしまた鶴見はそれを恐れもした。こんな時に景彦がやってきて反撃するかも知れぬということを恐れたのである。不思議不思議と言《い》い募《つの》ってみても、そのなかからは何も出て来ないのだ。実行だよ。不思議というのは実行の成績に待つべきものだ。こういっておれを言下に痛罵するかも知れない。

 杜甫《とほ》に「飲中八仙歌」がある。気象が盛んで華やいでいる。強《し》いて較《くら》べるのではないが、真淵の「うま酒の歌」においても同じことがいえる。そこで鶴見はこう考えている。詩には何を措《お》いても気象が立っていなければならない。丈《たけ》高いすがたである。どんなに柔艶な言葉を弄しても、底の底から揺《ゆる》ぎのないいきざしが貫き通っていなくてはならない。それを気象が立つというのである。おのずから生の華やぎが作品の表に見えて来ねばならない。それがないのは畢竟《ひっきょう》飢えた詩である。そんな考が不意に射出《いだ》した征矢《そ
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