れで先ず真淵から手をつけた。
 真淵に「うま酒の歌」というのがある。
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うまらにをやらふ(喫)るがねや、一つき二つき、ゑらゑらにたなぞこ(掌底)うちあぐるがねや、三つき四つき、言直し心直しもよ、五つき六つき、天足し国足すもよ、七つき八つき。
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 評伝はこれを引用して置きながら、その歌には余り価値を認めていない。鶴見は一読して感歎した。それから毎日のように口誦《くちずさ》んでは、そのあとで沈思しているのである。
 鶴見にはこの歌につき別に思い出があって、それが絡《から》みついて、その印象をますます深くしている。それというのは、先年静岡市の図書館で名家墨蹟記念展覧会が開催されたことがある。その会場で真淵の横幅物を見た。浜松の某家からの出品である。鶴見はその幅の中で、一度この「うま酒の歌」を知っていたからである。知ってはいたが最早《もはや》十年も昔のことである。忘れていたといっても好いぐらいである。よく練れた温雅な薄墨の筆蹟で、いかにも調子は高いが、どこまでも静かにおち著《つ》いていて、そこにおのずから気品が備っていたように覚えている。
 この「
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