かで、一方ではこのありさまである。その光景にひどく驚いたが、店の主人は顔馴染《かおなじみ》でもあるし、鶴見にしてからがその店の前は素通りにはできなかった。恐らく市内でここがただ一軒残った古本屋であるかも知れない。そう思って見るとなお更のことである。
 鶴見は店にはいって、いつもするように書棚の前に立って、ぎっしり詰めてある本を仔細に調べて行こうとしたが、それを為すだけの根気も既に失せていた。目がちらちらする。精力の尽きているのを知って、鶴見は我ながら情なくなる。それでも多数の書のなかから三冊を選んで購って来た。
 その三冊というのは、真淵《まぶち》の評伝と、篤胤《あつたね》の家庭や生活記録を主として取扱ったものと、ロオデンバッハの『死都ブルウジュ』の訳本とである。
 鶴見はやっとの思いで、転出先の農家に帰り著いた。そして手に入れた三冊の本を机の上にならべて見た。これが果して自分で選び出して来たものか、どうしてもそうとは思われない。まるでちぐはぐで三題話の種にもならないじゃないか。鶴見は例の癖で自嘲の念に駆られながら苦笑した。
 とにもかくにも、鶴見はこの三冊の外には読み物を持たない。そ
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