している。安心のただ一つの拠《よ》りどころが残されてある。彼はそこを新たに発見した。そういう風に考えているのである。ただし当今はどこにいたとて不如意《ふにょい》なことに変りはない。それにしても古巣は古巣だけのことはある。因縁《いんねん》の繋《つな》がりのある場所に寝起きをするということが、鶴見をその生活のいらだたしさから次第に落ち著《つ》けた。殊に今日は梅の老木に花が匂い出したのを見て、心の中でその風趣をいたわりながら、いつまでもその余香を嗅《か》いでいるのである。
この鶴見というのは一体どういう人間なのであろうか。かれは名を正根《まさね》といって、はやくから文芸の道にたずさわっていたので、黙子《もくし》なんぞという筆名で多少知られている。学歴とてもなく、知友にも乏しかったかれは、いつでも孤立のほかはなかった。生まれつきひ弱で、勝気ではあっても強気なところが見えない。世間に出てからは他に押され気味で、いつとはなしに引込《ひっこ》み思案《じあん》に陥ることが慣《なら》いとなった。彼はしょっちゅうそれを悔《くや》しがり寂しがるのみで、その境界《きょうがい》を打開する方法はあっても、それ
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