袋は花袋で一向にとりあわない。
 断れといった声は玄関にも筒抜けに聞えたにちがいない。鶴見は気の毒がって、「かまわないから会ってやったらどうだろう」と、いってはみたが、花袋は「会えぬ」といい張ってあとへは退《ひ》かない。そんなところにも禅家の老和尚というような格がある。鶴見はそう思って花袋の顔を見あげた。「妓に与ふ」と題した和歌の細ものが、かれの背後に微風をうけてゆらめいている。

 花袋にも藤村にも、思想面においてはその深さを、広さを、どれだけ暗示していたところのものがあったろうか。そこには哲学も宗教も十分に批判されてはいなかったように思われる。自然主義の提唱といっても、つまるところ形式的な評論倒れで、探求の精神も科学的合理性も意外に希薄であった。現実尊重ということも、洗いだててみれば、芸術主義の一変貌に外ならない。それはそれで好いのである。その中でも、藤村は啓蒙に心を傾け、花袋は耽溺《たんでき》に生を享楽する。それぞれのちがいはある。
 藤村が啓蒙に心を傾けたところは、ちょっとルソオを思わせる。かれがルソオを読んでいたのはたしかである。『告白篇』のごとき、一時は座右から離されぬ宝典
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