は完了したことになる。
 藤村が東京を引き払って、信州の小諸に赴任して浅間山のふもとで新生活をはじめたのはそれから一と月たたぬうちであった。藤村の芸術的生涯の第一期が、ここにまた完成を告げたのである。
 その藤村が今では大磯の土に親んで、記念の梅樹の下にその魂を寄せている。藤村も宗祇《そうぎ》や芭蕉と同じように自庵では死なないで、ずっと広い世界に涯《はてし》ない旅をつづけている、死んで永遠に生きるのである。それをおもえばよい死かたをしたものと、羨《うらやま》しくもある。これはこころがけていても、たやすくは出来がたいことであろう。

「妓に与ふ」と題した自作の歌を自書して、簡単に表装したのを壁にかけてある。その軸物におりおり眼をやって、盞《さかずき》をふくむ。酒を飲んでくつろげばくつろぐほど胸元《むなもと》がはだけて、そこから胸毛をのぞかせる。それぐらい花袋《かたい》は肥《ふと》っているのである。妓のおもかげと酒とが三昧境をかれの前に展開する。好いここちに浸り切った花袋がそこにある。単に花袋と呼ぶよりも花袋|和尚《おしょう》と呼んでみたい。酔態の中にも一種の風韻がある。近眼鏡の奥には慧敏
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