、いつもその中心を歩いている。これこそ正《まさ》しくアナトオル・フランスの作品である。

 鶴見の回想はそれに較べてあまりにも寂し過ぎる。第一に老年の畑が荒れていては、急にその発育を期待されない。多かるべきはずであった流星雨が降り足らなかったといっても好い。しかもそれが一刹那《いっせつな》閃《ひら》めくことがあっても次の瞬間にはすでに滅《き》えてしまっている。いわゆる前方を鎖《とざ》してわだかまるのは常闇《とこやみ》である。一刹那の光はむしろ永劫《えいごう》の暗黒を指示するが如くに見える。
 それでも鶴見にとっては、よしや回想の破片であろうとも、これを記念の緒《お》につないで置けば、まさかの時の念珠《ねんじゅ》の数え玉の用にも立とう。鶴見はそう思ってみて、それで好いのだと諦《あきら》めている。

 明治十六年、新築落成。これが一つの変動であった。旧家屋の構造様式が徳川末期の江戸風のもので、それがちょっとした旗本の隠居所とも思われるものであったとすれば、新築はどこか明治の役人向きの臭味《くさみ》に染ったものであった。広さはたいして違わぬが全体に殺風景なところが感ぜられる。趣味からいえば、
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