るとのことである。
桟敷は社外の畑に多数設けられてある。丘陵の側面などにも点々として灯が見える。その界隈《かいわい》一体に人が充満していて動きが取れない。甲州辺からも遣《や》って来る見物客もあるという話である。やがて打揚がぽんぽんとあがる。桟敷では歌謡の斉唱がはじまる。一方からそれが起ると忽《たちま》ちに四方に伝播《でんぱ》する。そして幾度も反復される。田の蛙の鳴き交す声々の嵐そのままに感ぜられる。
そのうちにいよいよ流星に火が附くというものがある。正直のところ鶴見ははじめからそれほどの大光景が見られるものとは期待していなかった。それがまたどうしたことか、五彩の星が乱れ飛んだぐらいで終ってしまった。あまりにもあっけない。「あれは遣りそこなったのだ」といって皆が失望している。流星は長い間の伝統を維持して来ただけに、構造製作が原始的であるのは免《まぬ》かれ難い。しかもここ数年中止していた挙句《あげく》のことで、余計|不手際《ふてぎわ》になったのであろう。それでも鶴見は満足した。鶴見としては彼の花火に関する閲歴にめずらしい一例を加え得たのである。米国大統領の観覧に供した両国橋|畔《ほとり
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