つばさ》はあっても、自由に飛び立つことも出来ない。社会は彼を手もなく押《お》し潰《つぶ》してしまう。しかし明治維新後八年、上宮太子降誕一千三百余年は、彼自身が彼を記念するには好い年代である。それがただ一つの記念である。誰が何といおうとも、これだけは彼の体から剥《は》ぎ取《と》れない。彼のために彼を笑ってやれ。その笑が痛哭《つうこく》であろうとも、自嘲であろうとも、解除であろうとも、それはどうでも好い。ただ大《おおい》に笑ってやれ。そう思っているのだ。たとえたわけと罵《ののし》られても、彼は満足しているのだ。」
こういってしまうと、鶴見も少しは胸が晴々とした。景彦に答えるのではない。まして弁解どころではない。鶴見は、この場合、言いたいことを言っただけである。
景彦の姿は遽《にわ》かにおぼろげになって、遠くかすんで行った。幽微な雰囲気が、そのあたりに棚引《たなび》いている。ほのかな陽炎《かげろう》が少しずつ凝集する。物がまた象《かたど》られて揺《ゆら》めくように感ぜられる。鶴見は、そこに、はからずも、畏《か》しこげな御影《ぎょえい》を仰ぎ見たのである。太秦《うずまさ》広隆寺の桂宮院《
前へ
次へ
全232ページ中115ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング