、一点でも明るいところが示されたこと、そのことを空漠たる回想を辿《たど》って読み取っていた時、果して、その時その家で、平凡な子供が一人生れ落ちた。鶴見は今それを思い出して、こそばゆいような気持になる。どこかに暗愚の痣《あざ》でもくっつけてはいなかったかと、無意識に、首筋のあたりを撫《な》で廻《まわ》している。生れて来たのは、実は、鶴見自身なのである。
 出生した子供はひよわらしい。どうせ娑婆塞《しゃばふさ》ぎであろうが、それでも産声《うぶごえ》だけは確に挙げた。持前の高笑いは早くもその時に萌《きざ》していたものと見える。明治八年三月十五日の事である。ただし生れた時間は分らない。
 鶴見はそれを憾《うら》みとして、繰り展《ひろ》げた回想の頁の上に幽《かす》かな光のさしている一点を、指さきでしっかり押えた。感応がある。ぴったり朝の六時。それでなければならない。彼はそうと、独り極めに極めてしまって、
「おお、これがおれの道楽かな。その子の出生は午前|正《しょう》六時、好い時刻だ。それに三月十五日、明治八年か。それで事はすっかり明白になった。いや、維新変革の後八年。ちょっと待てよ。それでは上宮
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