える。その生れて来た子が凡俗であればあるほど、つまらぬことである。しかし思い返してみれば、その子が生れて来たばかりに、何かは知らず、人間社会の片隅で、抜きさしのならぬ隠れた歴史を営みはじめる。どんな凡庸なものにもその人相応な歴史はあるものである。
鶴見は今そんな風に思ってみて、凡庸人の歴史を回想の中に探ろうとしている。
雲ともつかず霧ともつかぬものが一面にはびこって、回想の空間を灰色に塗りつぶしている。それが少しずつ動き出すらしい。鶴見は先ずそのけはいを感じたのである。そして目を据えて雲霧の動きを見極めようとしている。
雲霧は徐《おもむ》ろに流れて来ては、ふっと滅《き》えてゆく。おなじ動作が幾たびか繰り返される。雲霧は或る所まで来ると、必ずその所で滅えるのである。滅えて滅えて、そのあとがほんのりと明るくなる。
これは瑞兆《ずいちょう》だ。小さな魂が新しい肉体に宿って現われて来るには、またとない潮時である。生れて来る子のために祝ってやれば、たったこれだけのことでも、瑞兆といっても好い。その外《ほか》に何一つ変ったことも起ってはいないからである。
もやもやとした雲霧の渦流する中に
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