鏡です。形の上に透《す》き徹《とお》って見える内の焔《ほのお》が面白いのです。」

 この三篇はいつも識者からはそのどれかが名文だといわれている。鶴見ははじめからこの三つを名文だと思って見ていたのである。芥川竜之介も、鴎外の作中では『普請中』などをよく読めと、人に薦《すす》めている。
 傑作は名文を心としない。内容を重んずればそうもいわれる。しかし名文を伴わぬ傑作が果してあるだろうか。ここでは内容と、その表現形式の一致が望まれている。鴎外にはその一致がある。

『サフラン』がまた名文である。最も簡単であるだけにまた最も純粋でもある。
 鴎外の筆に上ったサフランにも霊はあろう。その霊は鴎外の残るくまなき記述によって、定めし目を醒《さま》して、西欧文物の東漸《とうぜん》の昔をしのんでいることであろう。鶴見はそこが波羅葦僧《ハライソ》の浄土であらんことを、切に願っている。

 重ねていう、『サフラン』は名文である。
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  出生



 人の子が或る日或る所に生れる。
 そういうことを鶴見はぼんやりした気分で考えていた。それはそれなりのことで、殊更に思を費やすにも当らぬように見
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