ころがある。その後も志下にはたびたび往《い》ったが、駐在所《ちゅうざいしょ》の傍《わき》などに栽植せられているのを見るようになって来た。だんだん広く鑑賞せられて行くものらしい。切枝を地に挿して置けば悉《ことごと》く根が附く。三、四年もすれば花をもつ。これほどたやすく繁殖する木は、柳などを除いては、先ずないものかと思われる。
 それから二年立って、明治二十七年に、鶴見は西遊を企てて九州へ往った。阪神地方の二、三の駅で、また夾竹桃を見かけた。あたりの殺風景に負けてもいずに、あの麗《うる》わしい花を咲かせているのである。花は笑っている。微笑ではない。夏の烈しい日光に照らされて匂う高声の誇らしさを、天分の瑞々《みずみず》しさで少しく和《やわら》げている。そのような笑いかたである。
 鴎外は明治三十九年に九州に往った。『鶏』の一篇は鴎外が小倉に赴任当時の事実と観察との精密な叙述である。行文《こうぶん》がまた頗《すこぶ》る生彩に富んでいる。その中に夾竹桃が出て来る。
 鴎外はその他に、もう一度夾竹桃を使った。それがこれから問題になるのである。

『阿部一族』のうちで、山崎にある阿部の屋敷に討ち入ろ
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