がある。
『万葉』では楸をひさき[#「ひさき」に傍点]と訓《よ》ませてある。ひさき[#「ひさき」に傍点]というのは、辞書で見ると、久しきに堪《た》える意味からその名を得たという一説を挙げている。そんなわけで、賢所の前庭に植えてあったのであろう。この説にはしばらく疑を存して置いて好い。外来植物としてこの木を数えることが既に明らかな事実である以上、楸字はその木と共にわが国に伝ったものであろう。即ち楸の実物提示であったに違いない。渡来僧か、こちらから行った留学僧かがその称呼をあらわす文字をその実物と共に持って来たものに違いない。そうであれば、唐時代には楸はこちらになかった木で、『万葉』でひさき[#「ひさき」に傍点]と和訓が施されるまでにやっとなっていたものに違いない。『万葉』のひさき[#「ひさき」に傍点]が今日のきささげ[#「きささげ」に傍点]ならば、楸はその当時あかめがしわ[#「あかめがしわ」に傍点]ではなかったはずである。

 さてこのひさき[#「ひさき」に傍点]は奈良の都の佐保川《さほがわ》の畔《ほとり》などに、川風に吹かれて生長していたようである。渡来した理由はやはり薬種に関係があっ
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