これがサハラの眞中であつたら、駱駝と共に骸骨となつてしまふ外はないと思ふ。ある「マスタバ」の墓中で、案内者のサラーが長々しく説明をやり、此の墓の壁畫には、何でも描いてないものはないと言ふので、私は『埃及では神に奉納する爲に手を出してゐる圖があるが、手を出して「バカシシユ」を貰つてゐる圖はないではないか』[#「』」は底本では欠落]と言つてやつたら、苦笑して引き下がつた。
 併しカイロの博物館は、世界に於ける一大「コレクシヨン」である。「シエク・ユル・ベレツド」や、ラホラブとノフエルト公夫妻の像の如きは、古帝國の彫刻の優品として、又美術史上古今に濶歩す可き作品であるが、かの評判のツタンカーメン王陵發見の金ピカの遺物に至つては、たゞ俗目を驚かすのみに過ぎず、美術上などから言つて格段の價値はない。此の博物館の次に私のカイロで感心したものは、囘教建築の美であつた。殊に其の住宅の中庭、木造の格子などの清楚なる工合は、西班牙のアルハムブラでも見られなかつた新しい「レヴエレーシヨン」である。

          五

 上埃及のルクゾールはナイル河畔にある水境であつて、寫眞などで見ると、其の岸に臨ん
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