い。たゞ稍々面白いのは、羅馬時代の「カタコムベ」であるが、元來低平なるデルタの端にある此の市は、たとへ埃及中で最も健康地であるにせよ、私共旅人には何等の感興を湧かしめない。たゞ嬉しかつたことは、私が此の地で寫眞の「フイルム」一本を買つた處、店の女が親切にも「カメラ」に入れ換へて呉れたことであつたが、此の夜私はチヾニヤの驛頭、セイス先生の柔い手を握り、期し難い再會を契つて別離の涙を呑む外はなかつた。動き出す汽車の窓から、影の如く先生の後姿が次第に夕闇の裡に消えて行く。私の心も闇く消えて行く。

          三

 カイロの騷がしい埃の町、出迎へて呉れた案内者サラーも宿屋の感じも、私達に所謂「オリエント」の惡い方面ばかりを印せしめた。此の遊覽地本位の市の、旅客に接する土人と埃及居住者とは、「ホテル」の番頭、給仕人、案内者、商店員と言はず、凡てがたゞ出來る丈けの利益を短時間のうちに占めようと考へ、其の極禮儀や節制をさへ失つてゐるらしく、此の金錢關係以外に、我々と彼等との間に何等人間的の交渉は成立してゐない。而して彼等以外の土人と我々との間は全く隔絶して、彼等は黒い顏を以て我々を白眼視
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