ツパ新石器時代遺物」のキャプション付きの図(fig18371_30.png)入る]
 また、この新石器時代《しんせつきじだい》になつてから、人類《じんるい》の發明《はつめい》した大切《たいせつ》な品物《しなもの》は土器《どき》であります。土器《どき》といひますと粘土《ねんど》で形《かたち》を造《つく》つて、それを火《ひ》で燒《や》いたものであります。もっとも今日《こんにち》のように堅《かた》い燒《や》き物《もの》や、釉藥《うはぐすり》を用《もち》ひた品《しな》は出來《でき》なかつたので、いはゆる素燒《すや》きでありますが、とにかく土器《どき》が發明《はつめい》されてから、人間《にんげん》は生活上《せいかつじよう》に非常《ひじよう》な便利《べんり》を得《え》て來《き》ました。今《いま》まで水《みづ》を汲《く》んだり、それを保存《ほぞん》するには椰子《やし》の實《み》の殼《から》のようなものとか、貝類《かひるい》の殼《から》とかを使《つか》ふことの他《ほか》はなかつたのであります。これらのものは大《おほ》きさも限《かぎ》りがあり、形《かたち》も一定《いつてい》してをりますが、この土器《どき》になりますと、大《おほ》きい容《い》れ物《もの》でも思《おも》ふような形《かたち》のものでも自由《じゆう》に造《つく》ることが出來《でき》ます。それで狩獵《しゆりよう》でとつて來《き》た獸《けだもの》の肉《にく》は、壺《つぼ》の中《なか》に鹽漬《しほづ》けとして保存《ほぞん》されるし、水《みづ》やその他《た》の流動物《りゆうどうぶつ》を瓶《かめ》に入《い》れて、自由《じゆう》に運《はこ》ぶことも出來《でき》るようになりました。また以前《いぜん》水《みづ》を湯《ゆ》に沸《わか》すことは非常《ひじよう》に困難《こんなん》であつて、僅《わづ》かに石《いし》のくぼみへ水《みづ》を入《い》れて、それに燒《や》き石《いし》を投《な》げ込《こ》むとか、貝殼《かひがら》に入《い》れた水《みづ》を火《ひ》に近寄《ちかよ》せて少《すこ》しの湯《ゆ》を得《え》たに過《す》ぎなかつたのでありますが、土器《どき》の發明《はつめい》が出來《でき》てから、多量《たりよう》の湯《ゆ》を沸《わか》すことも出來《でき》るようになつたのであります。定《さだ》めし舊石器時代《きゆうせつきじだい》の人類《じんるい》は、湯《ゆ》で身體《しんたい》をふくといふことはしなかつたので、身體《しんたい》も穢《よご》れて不潔《ふけつ》だつたでせうが、新石器時代《しんせつきじだい》に至《いた》つては、よし浴場《よくじよう》はなかつたとしても、湯《ゆ》でもつて身體《しんたい》を清潔《せいけつ》にすることが出來《でき》るようになつたと想像《そう/″\》せられます。(第二十九圖《だいにじゆうくず》)
 この土器《どき》の發明《はつめい》は更《さら》に大《だい》なる進歩《しんぽ》を人間生活《にんげんせいかつ》の上《うへ》にもたらしました。それは、今《いま》までは食物《しよくもつ》を※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》ることを知《し》らなかつた人間《にんげん》が、土器《どき》によつて動物《どうぶつ》の肉《にく》でも植物《しよくぶつ》でも、自由《じゆう》に※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》ることが出來《でき》るようになつたので、今《いま》まで食《た》べられなかつた品物《しなもの》や食物《しよくもつ》の部分《ぶぶん》も、※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]《に》て食《た》べることになつたのであります。その結果《けつか》、從來《じゆうらい》たゞ食物《しよくもつ》の材料《ざいりよう》を集《あつ》めるために、一日中《いちにちじゆう》骨《ほね》を折《を》つて働《はたら》いてゐた人間《にんげん》が、集《あつ》めた食料《しよくりよう》の貯藏《ちよぞう》が出來《でき》るようになり、食料《しよくりよう》が豐《ゆたか》になつたので働《はたら》く力《ちから》に餘裕《よゆう》が出來《でき》、それを他《た》の方面《ほうめん》に用《もち》ふることを得《う》るようになり、從《したが》つて文明《ぶんめい》が一段《いちだん》と進歩《しんぽ》することになつたのでありますから、土器《どき》の發明《はつめい》といふことは、人類《じんるい》の文明《ぶんめい》の歴史《れきし》の上《うへ》に一大事件《いちだいじけん》でありまして、ある學者《がくしや》のごときは、土器《どき》を知《し》らない人間生活《にんげんせいかつ》を野蠻的生活《やばんてきせいかつ》、土器《どき》をもつ人間《にんげん》の生活《せいかつ》を半開生活《はんかいせいかつ》と稱《しよう》して區別《くべつ》するくらゐであります。私共《わたしども》今日《こんにち》の生活《せいかつ》から茶碗《ちやわん》や壺《つぼ》などをなくしてしまつたならば、どれだけ不便《ふべん》なことであるかは、十分《じゆうぶん》に想像《そう/″\》が出來《でき》るのであります。
 さて、かように大切《たいせつ》な土器《どき》を誰《たれ》がどこで發明《はつめい》したかといふことは容易《ようい》にわからぬのでありますが、最初《さいしよ》は粘土《ねんど》が水《みづ》に濕《しめ》されると軟《やはら》かくなり、思《おも》ふ形《かたち》に造《つく》られることが知《し》られ、また濕《しめ》つた粘土《ねんど》が火《ひ》の傍《そば》に置《お》かれると、固《かた》くなることを知《し》つたといふことなどが發見《はつけん》の緒《いとぐち》となつたかと想像《そう/″\》せられます。また籠《かご》の外側《そとがは》とか内側《うちがは》とかに粘土《ねんど》を塗《ぬ》り込《こ》めて、籠《かご》と共《とも》に火《ひ》で燒《や》くといふ製法《せいほう》もあつたようであります。

      (ハ) 巨石記念物《きよせききねんぶつ》

 新石器時代《しんせつきじだい》に人類《じんるい》が造《つく》つたものには、前《まへ》に述《の》べました石器《せつき》や土器《どき》などの他《ほか》に、なほ非常《ひじよう》に大《おほ》きなすばらしい物《もの》があります。それは人間《にんげん》の體《からだ》の幾倍《いくばい》もある大《おほ》きな石《いし》をもつて造《つく》られた墓《はか》とか、あるひは宗教《しゆうきよう》の目的《もくてき》に使《つか》つた場所《ばしよ》とかいふものでありまして、それに使用《しよう》された石《いし》が非常《ひじよう》に大《おほ》きいので、われ/\はそれを巨石記念物《きよせききねんぶつ》と名《な》づけてゐます。これにはいろ/\の種類《しゆるい》がありまして、その一《ひと》つに立《た》て石《いし》(めんひる)といふものがあります。(第三十一圖《だいさんじゆういちず》2)それはたいてい一本《いつぽん》の大《おほ》きな長《なが》い石《いし》が突《つ》き立《た》てゝあるもので、その石《いし》の高《たか》さは五六尺《ごろくしやく》のものもありますが、大《おほ》きいものになると五六十尺《ごろくじつしやく》もあるもの[#「あるもの」は底本では「あるのも」]があります。これはなんのために使《つか》つたのであるか、確《たし》かにはわかりませんが、この巨石《きよせき》を昔《むかし》の人《ひと》が神《かみ》として崇拜《すうはい》したものであるか、または尊《たつと》い場所《ばしよ》の目標《もくひよう》としたものであらうと想像《そう/″\》するより外《ほか》はありません。私《わたし》は先頃《さきごろ》フランスの西海岸《にしかいがん》にあるカルナックといふ所《ところ》の大《おほ》きい立《た》て石《いし》を見《み》に行《い》つたのでありますが、今《いま》は三《みつ》つにをれて地上《ちじよう》に倒《たふ》れてゐます。元《もと》は直立《ちよくりつ》してゐたもので、高《たか》さは七八十尺《しちはちじつしやく》もあつたものですが、二百年程前《にひやくねんほどまへ》に雷《かみなり》が落《お》ちたゝめに折《を》れたのだといふことでありました。カルナックの立《た》て石《いし》より小《ちひ》さいものは、フランスに數限《かずかぎ》りなくありますが、變《かは》つて面白《おもしろ》いのは行列石《ぎようれつせき》(ありにゅまん)とでも稱《しよう》するもので、六七尺《ろくしちしやく》から十二三尺《じゆうにさんじやく》くらゐの高《たか》さの石《いし》が幾百《いくひやく》となく、一定《いつてい》の間隔《かんかく》をもつて竝《なら》び立《た》つてゐるのであります。これもなんの目的《もくてき》のために出來《でき》たものであるかはわかりませんが、やはり宗教的《しゆうきようてき》の意味《いみ》をもつて造《つく》られたものであらうと思《おも》はれます。カルナックにある行列石《ぎようれつせき》には、千二百本《せんにひやつぽん》ばかりの石《いし》が兵隊《へいたい》のように竝《なら》んでをるのがありました。(第三十一圖《だいさんじゆういちず》1)
[#「第三十圖 巨石記念物」のキャプション付きの図(fig18371_31.png)入る]
 また大《おほ》きな石《いし》をもつて圓《まる》く輪《わ》のように竝《なら》べ廻《まは》してある環状列石《かんじようれつせき》(くろむろひ)といふのがあります。これには石《いし》の大小《だいしよう》は種々《しゆ/″\》ありますが、大《おほ》きなものになると圓《えん》の直徑《ちよつけい》が一町《いつちよう》くらゐもあり、石《いし》の高《たか》さは二三十尺《にさんじつしやく》に及《およ》ぶものもあります。今日《こんにち》世界《せかい》で一番《いちばん》名高《なだか》いものはイギリスのすとんへんじ[#「すとんへんじ」に傍点]といふものでありまして、いま飛行場《ひこうじよう》となつてゐるソールスベリーの廣《ひろ》い野原《のはら》に圓《まる》く巨石《きよせき》を廻《まは》した不思議《ふしぎ》な姿《すがた》が立《た》つてをります。(第三十二圖《だいさんじゆうにず》23)大空《おほぞら》高《たか》く飛行機《ひこうき》が飛《と》んでゐる下《した》に、この大昔《おほむかし》の不思議《ふしぎ》な遺物《いぶつ》を見《み》るときは、一《ひと》つは二十世紀《にじつせいき》の現在《げんざい》、一《ひと》つは紀元前《きげんぜん》二十世紀《にじつせいき》にも溯《さかのぼ》るべき古代《こだい》のものを、同時《どうじ》に眼前《がんぜん》に眺《なが》めて一種《いつしゆ》の感《かん》に打《う》たれるのであります。このすとんへんじ[#「すとんへんじ」に傍点]の中央《ちゆうおう》に立《た》つて東方《とうほう》を眺《なが》めるときは、太陽《たいよう》の出《で》るのを眞正面《まつしようめん》に見《み》られるから、太陽崇拜《たいようすうはい》に關係《かんけい》ある宗教上《しゆうきようじよう》の目的《もくてき》で造《つく》られたものであらうと説《と》く人《ひと》もありますが、實際《じつさい》なんのためにこの野原《のはら》に、かようなものが設《まう》けられたか確《たし》かなことは知《し》ることが出來《でき》ません。もっともこのすとんへんじ[#「すとんへんじ」に傍点]は新石器時代《しんせつきじだい》の終《をは》りで、青銅《せいどう》が使用《しよう》され出《だ》した時代《じだい》に造《つく》られたものであるといはれますが、それはとにかく以上《いじよう》お話《はなし》した巨石記念物《きよせききねんぶつ》は、いづれも新石器時代《しんせつきじだい》から作《つく》られたことには間違《まちが》ひありません。
[#「第三十一圖 巨石記念物」のキャプション付きの図(fig18371_32.png)入る]
 今一《いまひと》つ大《おほ》きい石《いし》で造《つく》つたものに石机《いしづくゑ》、すなはちどるめん[#「どるめん」に傍点]といふのがあります。それは少《すこ》しひらたい石《いし》を三方《さんぽう
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