時代《じだい》から鐵《てつ》の時代《じだい》になつた例《れい》もたくさんありますが、ヨーロッパを始《はじ》めアジアの諸國《しよこく》においては、大體《だいたい》この三《みつ》つの時代《じだい》を通過《つうか》して、人類《じんるい》の文化《ぶんか》が進《すゝ》んで來《き》たのです。また世界中《せかいじゆう》のあらゆる國《くに》の人類《じんるい》が、みな同《おな》じ時代《じだい》に石《いし》から銅《どう》、銅《どう》から鐵《てつ》といふふうに進《すゝ》んで來《き》たのではなく、ある國《くに》では早《はや》く石《いし》から銅《どう》の時代《じだい》になり、更《さら》に鐵《てつ》の時代《じだい》になつたものもあるし、また長《なが》い間《あひだ》石《いし》の時代《じだい》に殘《のこ》されてゐたのもありますが、とにかくこの三《みつ》つの時代《じだい》の動《うご》き方《かた》は、大體《だいたい》人類文化《じんるいぶんか》の順序《じゆんじよ》を示《しめ》すものといつてもよろしい。
 かように人類《じんるい》の文化《ぶんか》の三階段《さんかいだん》があるといふことを初《はじ》めて唱《とな》へた人《ひと》は、今日《こんにち》から百年《ひやくねん》ばかり以前《いぜん》に生《い》きてゐた、デンマルクの學者《がくしや》トムゼンであります。またその弟子《でし》のワルセイが、先生《せんせい》の説《せつ》を事實《じじつ》によつてだん/\證明《しようめい》して行《い》つたのでありますが、どうしてこの北歐《ほくおう》の一小國《いちしようこく》の學者《がくしや》が、かような説《せつ》を出《だ》すに至《いた》つたかといふのに、北《きた》ヨーロッパ諸國《しよこく》には石《いし》の時代《じだい》、青銅《せいどう》の時代《じだい》が、他《た》の地方《ちほう》より長《なが》くつゞいてゐたゝめに、その頃《ころ》の遺物《いぶつ》が多《おほ》く存《そん》してゐたといふのが、その理由《りゆう》の一《ひと》つであります。その後《のち》に至《いた》つて、この三時代《さんじだい》を更《さら》に細《こま》かくわける學者《がくしや》が出《で》て來《き》ました。それはイギリスのラボックといふ人《ひと》で、石器時代《せつきじだい》をば舊石器時代《きゆうせつきじだい》と新石器時代《しんせつきじだい》の二《ふた》つにわけることになりました。今日《こんにち》われ/\はラボックのわけ方《かた》によつて、石器時代《せつきじだい》を二《ふた》つとするのが普通《ふつう》であります。また石器時代《せつきじだい》から金屬使用時代《きんぞくしようじだい》にはひる中間時代《ちゆうかんじだい》を、金石併用期《きんせきへいようき》と名《な》づける學者《がくしや》もありますが、かようにわけて行《ゆ》けば限《かぎ》りなくわけられますけれども、それらの細《こま》かいことは改《あらた》めてお話《はな》しする時《とき》がありませう。要《よう》するにこの石器《せつき》、青銅器《せいどうき》及《およ》び鐵器《てつき》の三《みつ》つの時代《じだい》によつて考古博物館《こうこはくぶつかん》は、その陳列《ちんれつ》する品物《しなもの》を區別《くべつ》し、時代別《じだいべつ》によつて人類《じんるい》の遺物《いぶつ》を竝《なら》べて行《ゆ》くのが普通《ふつう》の方法《ほう/\》となつてをります。
 それで私《わたし》は、これから皆《みな》さんに考古博物館《こうこはくぶつかん》を書物《しよもつ》の上《うへ》でつくり、そこへ案内《あんない》して説明《せつめい》して行《ゆ》かうと思《おも》ふのでありますが、たゞ今《いま》述《の》べた順序《じゆんじよ》で進《すゝ》んで行《ゆ》くことにいたします。さあ皆《みな》さん、これから舊石器時代《きゆうせつきじだい》の陳列室《ちんれつしつ》にまゐりませう。
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     二、舊石器時代室《きゆうせつきじだいしつ》

      (イ) 舊石器《きゆうせつき》の種類《しゆるい》

[#「第二十一圖 原器と舊石器」のキャプション付きの図(fig18371_22.png)入る]
 この室《しつ》にはひつて私共《わたしども》は、まづ中央《ちゆうおう》の棚《たな》に竝《なら》べてある石器類《せつきるい》をだん/\見《み》て行《ゆ》きませう。一番《いちばん》初《はじ》めにあるのは、いはゆる『原石器《げんせつき》』と稱《しよう》するものでありまして、これはちょっと見《み》たところでは、その邊《へん》に轉《ころ》がつてゐる石《いし》の破片《はへん》と少《すこ》しも變《かは》らない、たゞ角張《かくば》つて打《う》ち缺《か》いた痕《あと》のあるように見《み》えるだけのものでせう。(第二十一圖《だいにじゆういちず》左上《ひだりうへ》)これは皆《みな》さんも、果《はた》して人間《にんげん》が造《つく》つたものであるか否《いな》かについて疑《うたが》ふのはむりがありません。學者《がくしや》の間《あひだ》にも種々《しゆ/″\》意見《いけん》がありまして、ある學者《がくしや》は、人間《にんげん》が手《て》を加《くは》へて造《つく》つたものであるといひ、またある學者《がくしや》は、いや自然《しぜん》に石《いし》がぶつかったり、何《なに》かの機會《きかい》に出來《でき》たにすぎないものだといふ。しかし、かような石《いし》の破片《はへん》を持《も》つて來《き》て、これが原石器《げんせつき》であるかどうかといふ確《たし》かなことは答《こた》へが出來《でき》ないにしても、人間《にんげん》が立派《りつぱ》な石器《せつき》を造《つく》る以前《いぜん》に、それよりも簡單《かんたん》な、ちょうどこんな粗末《そまつ》な石器《せつき》を造《つく》つたことがあつてもよいし、またこんな石片《せつぺん》の中《うち》にも、人間《にんげん》の手《て》を加《くは》へたものが混《こん》じてゐることだけは認《みと》めなければなりません。
 よしこの原石器《げんせつき》に疑問《ぎもん》があるにしても、その次《つ》ぎに竝《なら》べてある拳《こぶし》のような形《かたち》をした石《いし》になると、誰《たれ》が見《み》ても(第二十一圖《だいにじゆういちず》左下《ひだりした》)かう根元《ねもと》が太《ふと》つて先《さき》が尖《とが》つた石《いし》ばかりが、偶然《ぐうぜん》にわれて出《で》て來《く》るとは思《おも》はれない。どうしてもこれは人間《にんげん》が造《つく》つたものとしなければなりません。これには人間《にんげん》の拳《こぶし》ほどもある大形《おほがた》のものが非常《ひじよう》に多《おほ》いのでありまして、一番《いちばん》古《ふる》い石器《せつき》といはれ、セイユ期《き》の石器《せつき》と呼《よ》ばれてゐるものであります。その次《つ》ぎに造《つく》られた石器《せつき》は、その隣《とな》りにあるアシュウル期《き》の石器《せつき》です。(同上《どうじよう》右上中《みぎうへなか》)形《かたち》は大體《だいたい》前《まへ》のものに似《に》てゐるけれども、製法《せいほう》が細《こま》かくなり、だいぶ美《うつく》しく出來《でき》てをります。こんな石器《せつき》は一體《いつたい》何《なに》に使用《しよう》したものであるかといふに、全體《ぜんたい》が槌《つち》の役《やく》にもなり、尖《とが》つたところでは物《もの》を突《つ》き、角《かく》ばつたところでは軟《やはら》かいものを切《き》るといふように、あらゆることに用《もち》ひられたのでせう。これが次第《しだい》に進《すゝ》んで來《き》ますと使用《しよう》の途《みち》も別《べつ》になり、それ/″\適當《てきとう》の形《かたち》になつて石槍《いしやり》とか石劍《いしつるぎ》とか、あるひは石庖丁《いしほうちよう》とかにわかれて行《ゆ》くのでありますが、この時代《じだい》にはまだ、それがわかれてゐなかつたのであります。
[#「第二十二圖 骨牙器と彫刻物」のキャプション付きの図(fig18371_23.png)入る]
 その次《つ》ぎに竝《なら》べてあるのは、皆《みな》さんの見《み》られるとほりその造《つく》り方《かた》は、前《まへ》のよりもかへって簡單《かんたん》であるようですが、しかも大《おほ》きく打《う》ちわつた表面《ひようめん》を巧《たく》みに使《つか》つて、必要《ひつよう》の部分《ぶぶん》を細《こま》かく打《う》ちわつてあるのが氣《き》につくでせう。薄《うす》く平《ひら》たいもの、先《さき》が鋭利《えいり》に尖《とが》つたものなども出來《でき》てきたのです。これをムスチェー期《き》のものといつてゐます。なほ次《つ》ぎ|々々《/\》に陳列《ちんれつ》してあるように、石器《せつき》には非常《ひじよう》に精巧《せいこう》なソリュートレ期《き》のもの、また少《すこ》し簡單《かんたん》で要領《ようりよう》のよく出來《でき》てあるマデレエン期《き》といふふうにだん/\變化《へんか》して來《き》てゐることがわかります。(第二十一圖《だいにじゆういちず》左中《ひだりなか》及《およ》び右下《みぎした》)ところがこのマデレエン期《き》になりますと、石器《せつき》はあまり進歩《しんぽ》したように見《み》えないけれども、この時代《じだい》にはひつて新《あたら》しく盛《さか》んに出《で》て來《き》たものは、動物《どうぶつ》の骨《ほね》だとか、角《つの》だとかで造《つく》つた品物《しなもの》であります。そこに竝《なら》べてあるような骨製《こつせい》の先《さき》の尖《とが》つたものや、種々《しゆ/″\》のものがありまして、中《なか》には牙《きば》や骨《ほね》の上《うへ》に動物《どうぶつ》の形《かたち》や人間《にんげん》の形《かたち》を彫刻《ちようこく》したものなどがあります。(第二十二圖《だいにじゆうにず》)これには前《まへ》の時代《じだい》には見《み》られなかつた品物《しなもの》です。そこに、大《おほ》きな平《ひら》たい骨《ほね》のようなものゝ上《うへ》に、象《ぞう》の形《かたち》が彫刻《ちようこく》してあるのを見《み》るでせう。(第二十三圖《だいにじゆうさんず》)これは長《なが》い毛《け》の生《は》えた象《ぞう》であることはすぐ氣《き》づくのでありまして、今日《こんにち》の象《ぞう》とは違《ちが》つて、昔《むかし》シベリアなどに棲《す》んでゐたまんもす[#「まんもす」に傍点]といふ大象《たいぞう》の形《かたち》を現《あらは》したものであります。そのまんもす[#「まんもす」に傍点]の形《かたち》をまんもす[#「まんもす」に傍点]の牙《きば》の上《うへ》に彫《ほ》つたもので、これは珍《めづら》しい品《しな》であります。こゝにあるのはその模造品《もぞうひん》であつて、現物《げんぶつ》はフランスのある博物館《はくぶつかん》に大切《たいせつ》に保存《ほぞん》されてあります。この他《ほか》れんぢゃー[#「れんぢゃー」に傍点](馴鹿《となかい》)の上《うへ》にれんぢゃー[#「れんぢゃー」に傍点]の形《かたち》を彫刻《ちようこく》したものや、人間《にんげん》の形《かたち》などを彫《ほ》つたものも少《すくな》くありません。
[#「第二十三圖 まんもす牙上彫刻まんもす圖」のキャプション付きの図(fig18371_24.png)入る]

      (ロ) 舊石器時代《きゆうせつきじだい》の繪畫《かいが》など


[#「第二十四圖 スペイン・アルタミラ洞天井畫」のキャプション付きの図(fig18371_25.png)入る]
 かように舊石器時代《きゆうせつきじだい》の中頃《なかごろ》から、動物《どうぶつ》などの形《かたち》を彫刻《ちようこく》にして現《あらは》すことが大《たい》そう上手《じようず》になつて來《き》ました。これらを見《み》てもこの時代《じだい》の人間《にんげん》を一概《いちがい》に野蠻人《やばんじん》だとはいへない、たゞ金屬《きんぞく》を使用《しよう》する
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