《こんにち》までにいかほど發見《はつけん》されたかといふに、殘念《ざんねん》ながら中々《なか/\》思《おも》ふように出《で》てまゐりません。しかしたゞ一《ひと》つ今《いま》から四十年前《しじゆうねんぜん》(一八九二|年《ねん》)にオランダの軍醫《ぐんい》デヨボアといふ人《ひと》が、南洋《なんよう》ジャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]島《とう》のトリニールといふ所《ところ》で發見《はつけん》した骨《ほね》が、ちょうどこの人間《にんげん》と猿《さる》との中間《ちゆうかん》にある動物《どうぶつ》の骨《ほね》だといはれてをります。骨《ほね》といつても、たゞ頭蓋骨《ずがいこつ》の頂《いたゞ》き、いはゆる頭《あたま》の皿《さら》の部分《ぶぶん》と左《ひだり》の腿《もゝ》の骨《ほね》の一部分《いちぶぶん》と臼齒《きゆうし》が出《で》たばかりでありますが、これを調《しら》べて見《み》ると、どうしても今日《こんにち》の類人猿《るいじんえん》とは違《ちが》つて、餘程《よほど》人間的《にんげんてき》の性質《せいしつ》をおびてゐたことがわかるのです。ことに直立《ちよくりつ》して歩行《ほこう》したものであることが、足《あし》の骨《ほね》の性質《せいしつ》によつて十分《じゆうぶん》に想像《そう/″\》せられます。それでその骨《ほね》の持《も》ち主《ぬし》である動物《どうぶつ》と、『ピテカントロプス・エレクツス』すなはち猿人《えんじん》、直立《ちよくりつ》して歩行《ほこう》する猿人《えんじん》といふ名《な》をつけたのであります。この骨《ほね》を基礎《きそ》として顏《かほ》や體《からだ》を造《つく》つて見《み》ると、第十四圖《だいじゆうしず》にあるような猿人《えんじん》となるのです。これが猿《さる》の方《ほう》に近《ちか》いか、人間《にんげん》の方《ほう》に近《ちか》いかは、議論《ぎろん》があるにしても、とにかく人間《にんげん》と猿《さる》との中間《ちゆうかん》の動物《どうぶつ》といつて差《さ》し支《つか》へはありません。
[#「第十四圖 ピテカントロプス猿人」のキャプション付きの図(fig18371_15.png)入る]
その後《ご》、本當《ほんとう》の人間《にんげん》と名《な》のつけられる一番《いちばん》古《ふる》い骨《ほね》は、ドイツのハイデルベルグの附近《ふきん》で發見《はつけん》されました。それはたゞ一《ひと》つの下顎骨《かがくこつ》でありますが、この骨《ほね》は顎《あご》が内側《うちがは》に引込《ひつこ》み、今日《こんにち》の人間《にんげん》とはよほど違《ちが》つてゐますけれども、類人猿《るいじんえん》とは全《まつた》く別種《べつしゆ》であり、もはや人間《にんげん》の仲間《なかま》であることは明《あきら》かであります。第十五圖《だいじゆうごず》をご覽《らん》なさい。たゞ一《ひと》つの下顎骨《かがくこつ》から想像《そう/″\》して見《み》ると、こんな人間《にんげん》が出來上《できあが》るのです。これを『ハイデルベルグ人《じん》』といつてゐます。
[#「第十六図 ハイデルベルグ人下顎骨」のキャプション付きの図(fig18371_16.png)入る]
その次《つ》ぎに古《ふる》いものは、イギリスのピルツダウンで發見《はつけん》されたもの、それからドイツのネアンデルタール、ベルジュームのスピイなどで發見《はつけん》されたもので、これらのものは皆《みな》ハイデルベルグ人《じん》よりも餘程《よほど》進歩《しんぽ》してをりますけれども、現代《げんだい》の人類《じんるい》、日本人《につぽんじん》、支那人《しなじん》のような黄色人種《こうしよくじんしゆ》、ヨーロッパやアメリカの白色人種《はくしよくじんしゆ》、それからアフリカあたりの黒人《こくじん》まで含《ふく》めた現代人類《げんだいじんるい》と比較《ひかく》して見《み》ると、動物學上《どうぶつがくじよう》これら現代人《げんだいじん》と同《おな》じ一《ひと》つの人種《じんしゆ》にいるべきものではなくて、それとは別《べつ》な種《しゆ》に屬《ぞく》するほどの違《ちが》ひを示《しめ》してをりますので、われ/\はこれを『ホモ・プリミゲニウス』(原始人《げんしじん》)と呼《よ》んでゐるのであります。第十八圖《だいじゆうはちず》はネアンデルタールから出《で》た骨《ほね》から想像《そう/″\》して見《み》た、その時分《じぶん》の人間《にんげん》です。
[#「第十五圖 ハイデルベルグ人」のキャプション付きの図(fig18371_17.png)入る]
[#「第十七圖 ピルツダウン人」のキャプション付きの図(fig18371_18.png)入る]
その次《つ》ぎの時代《じだい》に出《で》て來《き》た人間《にんげん》は、フランスのドルドンヌ州《しゆう》その他《た》から發見《はつけん》された骨《ほね》によつて代表《だいひよう》されるものであつて、その中《うち》で主《おも》なるものはクロマニヨン人《じん》といはれるものです。この時代《じだい》の人間《にんげん》になると、今日《こんにち》の人間《にんげん》とまったく同《おな》じ種《しゆ》に屬《ぞく》するものであり、またある點《てん》では今《いま》の野蠻人《やばんじん》などよりは餘程《よほど》進《すゝ》んだ頭腦《ずのう》の持《も》ち主《ぬし》であつたことは、その頭《あたま》の骨《ほね》を見《み》てもわかります。ですからクロマニヨン人《じん》は、われ/\と同樣《どうよう》、現代人《げんだいじん》といふ名《な》をつけなければなりません。しかしその現代人《げんだいじん》に屬《ぞく》するクロマニヨン人《じん》が棲《す》んでゐた時代《じだい》はいつ頃《ごろ》だらうと申《まを》しますと、ずいぶん古《ふる》い時代《じだい》であつて明瞭《めいりよう》にはわかりかねるのでありますが、まづ今日《こんにち》から七八千年《しちはつせんねん》乃至《ないし》一萬年《いちまんねん》に近《ちか》い以前《いぜん》であらうといふことです。從《したが》つてそれ以前《いぜん》の原始人《げんしじん》だとか、ハイデルベルグ人《じん》だとかに至《いた》つては何萬年前《なんまんねんまへ》であるか、にはかに見當《けんとう》がつかないくらゐです。まして人《ひと》と猿《さる》の中間《ちゆうかん》とも見《み》られる猿人《えんじん》などは五十萬年《ごじゆうまんねん》、あるひはそれ以上《いじよう》の古《ふる》い昔《むかし》のものとしなければならぬのでありまして、かように考《かんが》へて來《く》ると人間《にんげん》の始《はじ》めはなんとずいぶん古《ふる》いものではありませんか。また人間《にんげん》の現《あらは》れる以前《いぜん》の下等動物《かとうどうぶつ》ばかり棲《す》んでゐた世界《せかい》はどれだけ古《ふる》いことでせう。數千萬年《すうせんまんねん》をもつてかぞへても數《かぞ》へ切《き》れない昔《むかし》とは、實《じつ》に驚《おどろ》くべきことであります。われ/\が歴史《れきし》をもつてから今日《こんにち》まで、わづかに數千年《すうせんねん》といふ短時日《たんじじつ》でありますが、人間《にんげん》の始《はじ》めて出現《しゆつげん》してから歴史《れきし》の始《はじ》まるまでと、歴史以後《れきしいご》今日《こんにち》までとの長《なが》さの比例《ひれい》は、歴史以前《れきしいぜん》の方《ほう》が歴史以後《れきしいご》の數十倍《すうじゆうばい》からあるといふことでわかるでせう。
(ハ) 文化《ぶんか》の三時代《さんじだい》
[#「第十八圖 ネアンデルタール人想像圖」のキャプション付きの図(fig18371_19.png)入る]
さて人類《じんるい》が始《はじ》めてこの世界《せかい》に現《あらは》れてから非常《ひじよう》に長《なが》い間《あひだ》、歴史時代《れきしじだい》にはひるごく近《ちか》い時代《じだい》までも、人間《にんげん》は今日《こんにち》われ/\のように銅《どう》や鐵《てつ》の金屬《きんぞく》を使用《しよう》して種々《しゆ/″\》の器物《きぶつ》を作《つく》ることをまったく知《し》らなかつたのであります。それで最初《さいしよ》は今日《こんにち》の猿《さる》などと同《おな》じく、たゞそのあたりにある木片《きぎれ》だとか石塊《いしころ》だとかをもつて、穴《あな》を掘《ほ》つて蟲《むし》をとつたり、あるひは木《き》の實《み》をわつて食《く》ふといふような生活《せいかつ》をしてゐたのでありませう。ところがだん/\進歩《しんぽ》するに從《したが》つて石塊《いしころ》に多少《たしよう》の細工《さいく》を加《くは》へ、手《て》に握《にぎ》つて物《もの》を打《う》ち壞《こわ》すに便利《べんり》な形《かたち》にこしらへるようになりました。更《さら》にまたその石《いし》を磨《みが》いて美《うつく》しい形《かたち》の器物《きぶつ》を造《つく》るようになり、あるひは自分《じぶん》の食《く》つた動物《どうぶつ》の骨《ほね》に細工《さいく》を加《くは》へて、それを道具《どうぐ》にしたりしたのでありますが、とにかく主《しゆ》として石《いし》で造《つく》つた器物《きぶつ》を使用《しよう》した時代《じだい》が長《なが》らくつゞいたのです。それをわれ/\は石《いし》の時代《じだい》、あるひは石器時代《せつきじだい》と呼《よ》んでをります。
[#「第十九圖 クロマニヨン人想像圖」のキャプション付きの図(fig18371_20.png)入る]
ところが人類《じんるい》はまた偶然《ぐうぜん》に岩石《がんせき》の間《あひだ》にある金《きん》だとか銅《どう》だとかのような金屬《きんぞく》を發見《はつけん》して、こんどはその金屬《きんぞく》をもつて器物《きぶつ》を造《つく》るようになりましたが、これは石《いし》や骨《ほね》の器物《きぶつ》に比《くら》べると、非常《ひじよう》につごうの良《よ》いことを知《し》り、まづはじめにはたゞの銅《どう》を使《つか》ふようになつたのであります。ところがたゞの銅《どう》では柔《やはら》かすぎ、鑄造《ちゆうぞう》もむつかしいので、銅《どう》に錫《すゞ》をまぜて青銅《せいどう》といふ金屬《きんぞく》を作《つく》り、これを器物《きぶつ》の材料《ざいりよう》としてゐた時代《じだい》がありました。この時代《じだい》を青銅時代《せいどうじだい》あるひは青銅器時代《せいどうきじだい》と稱《しよう》するのであります。そののち遂《つひ》に鐵《てつ》が廣《ひろ》く器物《きぶつ》に使用《しよう》される時代《じだい》となつたのでありますが、その時代《じだい》を鐵《てつ》の時代《じだい》、あるひは鐵器時代《てつきじだい》といふのです。今日《こんにち》においては鐵以外《てついがい》にあるみにゅーむ[#「あるみにゅーむ」に傍点]その他《ほか》いろ/\の金屬《きんぞく》が發見《はつけん》されてまゐりましたが、やはり鐵《てつ》が切《き》れものや、何《なに》かに一番《いちばん》多《おほ》く使《つか》はれてゐるので、廣《ひろ》い意味《いみ》においては、今日《こんにち》も鐵器時代《てつきじだい》に屬《ぞく》するといふほかはありません。
[#「第二十圖 トムゼン氏」のキャプション付きの図(fig18371_21.png)入る]
かように人類《じんるい》が石《いし》から銅《どう》、あるひは青銅《せいどう》をへて、次《つ》ぎに鐵《てつ》をもつて刃物《はもの》をつくる時代《じだい》となりました。この三《みつ》つの時代《じだい》を考古學者《こうこがくしや》は、文化《ぶんか》の三時代《さんじだい》、あるひは文化《ぶんか》の三《みつ》つの階段《かいだん》と名《な》づけるのであります。しかしこの三《みつ》つの階段《かいだん》は、あらゆる人類《じんるい》が必《かなら》ずこの順序《じゆんじよ》でもつて通過《つうか》するものではありません。ある場合《ばあひ》には、石《いし》の
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