フローレンス、ミランその他《ほか》にも大博物館《だいはくぶつかん》が無數《むすう》にあります。イタリイは古《ふる》い時代《じだい》に文化《ぶんか》の榮《さか》えた國《くに》でありますから、これ等《ら》の博物館《はくぶつかん》に收《をさ》めてあるものには秀《すぐ》れた品《しな》が多《おほ》く、とうてい他《た》の國々《くに/″\》では見《み》られないものがたくさんあります。毎年《まいねん》イタリイを旅行《りよこう》する人《ひと》は非常《ひじよう》に多《おほ》いのでありますが、イタリイ滯在《たいざい》の半《なかば》は、博物館《はくぶつかん》で過《すご》し、あとの半《なかば》はローマだとかポムペイだとかの舊蹟《きゆうせき》を巡遊《じゆんゆう》するといふあり樣《さま》であります。以上《いじよう》の他《ほか》、ヨーロッパではスペインのマドリッド、デンマルクのコウペンハーゲン、スェーデンのストックホルムといふような都市《とし》には、イギリスやドイツやフランス等《とう》にもあまり劣《おと》らない博物館《はくぶつかん》があつて、よし國《くに》は小《ちひ》さくても博物館《はくぶつかん》や圖書館《としよかん》だけは、大國《だいこく》と肩《かた》を竝《なら》べることが出來《でき》るくらゐのものがあります。軍艦《ぐんかん》や兵隊《へいたい》では競爭《きようそう》は出來《でき》なくとも、かうしたもので負《ま》けないで行《い》かうといふのです。ロシヤにも昔《むかし》から大《おほ》きい博物館《はくぶつかん》がありますが、モスコーやレニングラードにある博物館《はくぶつかん》は、ヨーロッパ第一流《だいゝちりゆう》のものに比《くら》べてけっして劣《おと》らないといはれてをります。トルコの都《みやこ》にも立派《りつぱ》な博物館《はくぶつかん》があつて、なか/\有名《ゆうめい》であります。
また、これはヨーロッパではありませんが、アフリカのエヂプトのカイロには、古《ふる》いエヂプトの遺物《いぶつ》ばかりを竝《なら》べてある大《おほ》きな博物館《はくぶつかん》があります。ぴらみっと[#「ぴらみっと」に傍点]や古《ふる》い墓《はか》から出《で》たいろ/\の寶物《ほうもつ》が一《いつ》ぱいありまして、今《いま》から四五千年前《しごせんねんまへ》の王樣《おうさま》のみいら[#「みいら」に傍点]も、そのまゝ見《み》ることが出來《でき》ます。また近頃《ちかごろ》發掘《はつくつ》されたツタンカーメンといふ王樣《おうさま》のお墓《はか》から出《で》た黄金《きん》づくめのすてきな品物《しなもの》が山《やま》のように陳列《ちんれつ》せられて、見《み》る人《ひと》をびっくりさせてをります。
(ハ) アメリカの博物館《はくぶつかん》
[#「第十圖 メトロポリタン博物館ギリシヤ室中庭」のキャプション付きの図(fig18371_11.png)入る]
アメリカといふ國《くに》は、皆《みな》さんも知《し》つてゐるとほり新《あたら》しい國《くに》でありますが、非常《ひじよう》にお金持《かねも》ちでありますから、ぜいたくをつくした立派《りつぱ》な博物館《はくぶつかん》が近頃《ちかごろ》たくさんに造《つく》られ、その建《た》て物《もの》や設備《せつび》においてはヨーロッパ諸國《しよこく》のとても及《およ》ばないものが少《すくな》からずあります。その中《なか》でも大《おほ》きい美術博物館《びじゆつはくぶつかん》としてロンドンの大英博物館《だいえいはくぶつかん》、パリのルーヴル博物館《はくぶつかん》に優《まさ》るとも劣《おと》らないものは、ニューヨークのメトロポリタン博物館《はくぶつかん》でありませう。こゝにはエヂプト、ギリシヤその他《ほか》西洋《せいよう》の古美術《こびじゆつ》はもとより、日本《につぽん》支那《しな》を始《はじ》め東洋諸國《とうようしよこく》のものを非常《ひじよう》にたくさん集《あつ》めてあつて、とうてい一日《いちにち》や二日《ふつか》では全部《ぜんぶ》見《み》て廻《まは》ることは出來《でき》ないのであります。しかもこの博物館《はくぶつかん》で見物人《けんぶつにん》を驚《おどろ》かすものは、そのギリシヤ、ローマの部屋《へや》の一部《いちぶ》にイタリイのポムペイで發掘《はつくつ》された昔《むかし》の家《いへ》の客間《きやくま》そのまゝを模造《もぞう》してあることです。眞中《まんなか》には庭園《ていえん》があり、噴水《ふんすい》が絶《た》えず水《みづ》を噴《ふ》き出《だ》し、あたりには青々《あを/\》と繁《しげ》つた庭木《にはき》も植《う》ゑてあり、熱《あつ》い夏《なつ》の日《ひ》でも涼《すゞ》しい感《かん》じを與《あた》へ、さながら昔《むかし》の時代《じだい》の人《ひと》となつてポムペイにゐるような思《おも》ひがいたします。これはアメリカばかりでなく、ヨーロッパの博物館《はくぶつかん》にもありますが、古《ふる》い彫刻《ちようこく》などは皆《みな》臺《だい》の上《うへ》に乘《の》せてあつて、ぼたん[#「ぼたん」に傍点]を押《お》せばそれが自由《じゆう》に廻轉《かいてん》するようになつてをりますので、見物人《けんぶつにん》は一《ひと》つ所《ところ》に立《た》つてゐながら、前後左右《ぜんごさゆう》からその品物《しなもの》を見《み》ることの出來《でき》るのは實《じつ》に便利《べんり》な仕掛《しか》けではありませんか。またボストンには、メトロポリタンにも劣《おと》らない程《ほど》の美術館《びじゆつかん》があります。その日本部《につぽんぶ》には日本《につぽん》においてさへ見《み》られないような古《ふる》い美術品《びじゆつひん》もあり、日本《につぽん》の建築《けんちく》や床《とこ》の間《ま》のようなものを作《つく》つて、陳列《ちんれつ》してあるのには感心《かんしん》されます。これらの品《しな》は日本人《につぽんじん》が美術《びじゆつ》の價値《かち》を知《し》らない時代《じだい》に海外《かいがい》へ賣《う》つてしまつたものであつて、今《いま》では日本《につぽん》に買《か》ひ戻《もど》すことも出來《でき》ないのです。またワシントンのフリヤー・ガレリーといふ美術館《びじゆつかん》は、支那《しな》の古畫《こが》をもつて特色《とくしよく》としてゐます。それからフィラデルフィアの大學附屬博物館《だいがくふぞくはくぶつかん》にも、また支那《しな》の古《ふる》い時代《じだい》の彫刻《ちようこく》などにすばらしい立派《りつぱ》なのがあります。かようにアメリカの博物館《はくぶつかん》はなか/\侮《あなど》り難《がた》い勢《いきほ》ひをもつてゐるばかりでなく、近年《きんねん》は支那《しな》などから出《で》る古美術品《こびじゆつひん》は金錢《きんせん》を厭《いと》はず購入《こうにゆう》するといふ状態《じようたい》ですから、ヨーロッパ諸國《しよこく》はこの點《てん》ではとても勝《か》てないことになりました。
博物學《はくぶつがく》方面《ほうめん》の博物館《はくぶつかん》も立派《りつぱ》なのが各地《かくち》に設《まう》けてありますが、ことにワシントン、シカゴ、ニューヨークなどにあるものはよく完備《かんび》してをります。動物《どうぶつ》の標本《ひようほん》は皆《みな》、ぱのらま[#「ぱのらま」に傍点]の風景《ふうけい》の中《なか》に、それをあしらつて、自然《しぜん》の景色《けしき》の中《なか》にそれ/″\動物《どうぶつ》が棲《す》んでゐる所《ところ》を見《み》せることに努《つと》めてをりますから、見物人《けんぶつにん》は大人《おとな》でも子供《こども》でも興味《きようみ》をもつてそれ/″\動物《どうぶつ》の生活状態《せいかつじようたい》を知《し》ることが出來《でき》るのです。かような博物館《はくぶつかん》は、アメリカの各州《かくしゆう》に一《ひと》つや二《ふた》つは必《かなら》ず設《まう》けられてあるのは實《じつ》に羨《うらや》ましいと思《おも》ひます。せめて日本《につぽん》にこんなのが一《ひと》つでも設《まう》けられたらと思《おも》はずにはゐられません。またアメリカには大《おほ》きな博物館《はくぶつかん》に附屬《ふぞく》し、また獨立《どくりつ》に兒童博物館《じどうはくぶつかん》といふのがたくさんあります。これは理科《りか》その他《た》に關《かん》して、ごく簡單《かんたん》な知識《ちしき》を授《さづ》けるために出來《でき》たもので、學校《がつこう》で習《なら》ふことを、一々《いち/\》實物《じつぶつ》に照《てら》して復習《ふくしゆう》することが出來《でき》ます。それですからいつも熱心《ねつしん》な男《をとこ》の子《こ》や女《をんな》の子《こ》が一《いつ》ぱいです。これも西洋《せいよう》で羨《うらや》ましいものの一《ひと》つであります。
(ニ) 世界《せかい》で珍《めづら》しい博物館《はくぶつかん》
[#「第十一圖 ストツクホルム北方博物館」のキャプション付きの図(fig18371_12.png)入る]
西洋各國《せいようかつこく》にあるいろ/\の博物館《はくぶつかん》の中《うち》で、一風《いつぷう》變《かは》つた特色《とくしよく》があつて非常《ひじよう》に面白《おもしろ》く感《かん》じたのは、ヨーロッパのスエーデン國《こく》のストックホルムにある民俗博物館《みんぞくはくぶつかん》であります。これはスエーデンの土地《とち》の風俗《ふうぞく》や習慣《しゆうかん》などを示《しめ》す博物館《はくぶつかん》であつて、ハゼリウスといふ一人《ひとり》の熱心《ねつしん》な人《ひと》が、古《ふる》い風俗《ふうぞく》や品物《しなもの》がだん/\亡《ほろ》びて行《ゆ》くのを悲《かな》しんで、初《はじ》めはわづかの品物《しなもの》を集《あつ》め出《だ》し、それがだん/\大《おほ》きくなつて行《い》つて今日《こんにち》の國立《こくりつ》の大博物館《だいはくぶつかん》となり、北方博物館《ほつぽうはくぶつかん》といふ名稱《めいしよう》がつけられたのであります。建《た》て物《もの》は三階建《さんがいだ》ての立派《りつぱ》なもので、その一番下《いちばんした》の部屋《へや》にはスエーデンの各地方《かくちほう》の農家《のうか》の状態《じようたい》をそのまゝこゝへ移《うつ》してあつて、寢臺《しんだい》だとか爐邊《ろへん》の模樣《もよう》などが地方々々《ちほう/\》別《べつ》に區別《くべつ》して竝《なら》べてあるのです。また二階《にかい》には家々《いへ/\》の道具類《どうぐるい》が、あるひは織《お》り物《もの》あるひは木器《もくき》あるひは陶器《とうき》といふように種類《しゆるい》をわけて見《み》られるようにしてあります。それから三階《さんがい》へ上《のぼ》ると、今度《こんど》は時代順《じだいじゆん》に竝《なら》べて、だん/\變《かは》つて來《き》てゐるところを現《あらは》してゐます。かように三種《さんしゆ》の竝《なら》べ方《かた》によつて、私共《わたしども》見物人《けんぶつにん》はスエーデンの風俗《ふうぞく》や習慣《しゆうかん》の特質《とくしつ》を十分《じゆうぶん》にいろ/\の方面《ほうめん》から研究《けんきゆう》することが出來《でき》るようになつてをります。ところがまたこの博物館《はくぶつかん》のすぐ傍《そば》にスカンセンといふ丘陵《きゆうりよう》があつて、それが野外博物館《やがいはくぶつかん》になつてをります。その丘《をか》の上《うへ》にはスエーデンの各地方《かくちほう》の植物《しよくぶつ》を移植《いしよく》し、また特有《とくゆう》の動物《どうぶつ》をも飼養《しよう》してゐるところは、ちょっと植物園《しよくぶつえん》か動物園《どうぶつえん》のようでもあります。そしてその間《あひだ》に各地方《かくちほう》からそのまゝもつて來《き》た農民《のうみん》の小屋《こや》があり、古《ふる》い式《しき》の教會堂《きようかいどう》
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