ひになつて中《なか》にはひつて行《ゆ》くと、女《をんな》の子《こ》が、
「お父《とう》さん、あそこに牛《うし》が描《か》いてあります」
と叫《さけ》んだので、
「なに、そんなことがあるものか」
と打《う》ち消《け》しながらよく見《み》ると、牛《うし》や馬《うま》の繪《え》が續々《ぞく/\》と七八十程《しちはちじゆうほど》も現《あらは》れて來《き》たので、サウツオラは驚《おどろ》きました。そしてそれが原因《げんいん》で洞穴《ほらあな》の研究《けんきゆう》をして、これを學界《がつかい》に發表《はつぴよう》しましたが、當時《とうじ》誰《たれ》も信《しん》ずる者《もの》がなく、サウツオラは失望落膽《しつぼうらくたん》し、殘念《ざんねん》に思《おも》ひながら死《し》んだのです。死後《しご》幾年《いくねん》かをへて、それが始《はじ》めて舊石器時代《きゆうせつきじだい》の繪《え》であることにきまり、今更《いまさら》サウツオラの手柄《てがら》を人々《ひと/″\》が認《みと》めるようになりました。今《いま》もその洞穴《ほらあな》の人《いり》り口《ぐち》に建《た》つてゐる碑文《ひぶん》にそのことが記《しる
前へ 次へ
全290ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング