だりうへ》)これは皆《みな》さんも、果《はた》して人間《にんげん》が造《つく》つたものであるか否《いな》かについて疑《うたが》ふのはむりがありません。學者《がくしや》の間《あひだ》にも種々《しゆ/″\》意見《いけん》がありまして、ある學者《がくしや》は、人間《にんげん》が手《て》を加《くは》へて造《つく》つたものであるといひ、またある學者《がくしや》は、いや自然《しぜん》に石《いし》がぶつかったり、何《なに》かの機會《きかい》に出來《でき》たにすぎないものだといふ。しかし、かような石《いし》の破片《はへん》を持《も》つて來《き》て、これが原石器《げんせつき》であるかどうかといふ確《たし》かなことは答《こた》へが出來《でき》ないにしても、人間《にんげん》が立派《りつぱ》な石器《せつき》を造《つく》る以前《いぜん》に、それよりも簡單《かんたん》な、ちょうどこんな粗末《そまつ》な石器《せつき》を造《つく》つたことがあつてもよいし、またこんな石片《せつぺん》の中《うち》にも、人間《にんげん》の手《て》を加《くは》へたものが混《こん》じてゐることだけは認《みと》めなければなりません。
 よしこの
前へ 次へ
全290ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング