學博物館《こうこがくはくぶつかん》がどこにも設《まう》けられてゐませんから、皆《みな》さんはやはり先生《せんせい》に聽《き》くか、書物《しよもつ》を見《み》るかしなければ、それらについて知《し》ることの出來《でき》ないのは甚《はなは》だ遺憾《いかん》なことであります。
 昨年《さくねん》私《わたし》がドイツを旅行《りよこう》して、ミュンヘンといふ町《まち》へまゐりました時《とき》、そこにある大《おほ》きい美術博物館《びじゆつはくぶつかん》の附近《ふきん》に、小《ちひ》さいけれども考古學博物館《こうこがくはくぶつかん》がありましたので見物《けんぶつ》に出《で》かけました。そこはわづか二《ふた》つか三《みつ》つしか部屋《へや》がなく、ほんとうに小《ちひ》さいもので、爺《ぢい》さんがたゞ一人《ひとり》、つくねんとして番《ばん》をしてゐました。その中《なか》へ私《わたし》がはひつて行《ゆ》くと、陳列棚《ちんれつだな》の陰《かげ》の方《ほう》に一人《ひとり》の少年《しようねん》がゐて、手帳《てちよう》を出《だ》して一《いつ》しょう懸命《けんめい》に見《み》たものについて筆記《ひつき》してゐました
前へ 次へ
全290ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング