て、水晶《すいしよう》や何《なに》かと同《おな》じように自然《しぜん》に出來《でき》た石《いし》だとばかり信《しん》じてをりました。またある人《ひと》は石《いし》の矢《や》の根《ね》は天狗《てんぐ》の作《つく》つたものだと話《はな》してくれました。しかしそれは、今日《こんにち》から四十年程前《しじゆうねんほどまへ》のことでありまして、その頃《ころ》には日本《につぽん》のどこへ行《い》つても考古學《こうこがく》の博物館《はくぶつかん》といふものは一《ひと》つもなく、また石《いし》の矢《や》の根《ね》のようなものについても、説明《せつめい》した書物《しよもつ》がなかつたのであります。もしその頃《ころ》考古學《こうこがく》の博物館《はくぶつかん》があつたならば、石《いし》の矢《や》の根《ね》は自然《しぜん》に出來《でき》たものでもなく、また天狗《てんぐ》の作《つく》つたものでもなくて、古《ふる》い時代《じだい》に人間《にんげん》が作《つく》つたものであるといふことがわかつたことでありませう。しかし四十年後《しじゆうねんご》の今日《こんにち》でも、日本《につぽん》では殘念《ざんねん》ながら考古
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