高山彦九郎《たかやまひこくろう》、林子平《はやししへい》などゝ共《とも》に寛政《かんせい》の三奇士《さんきし》といはれた蒲生君平《がまうくんぺい》が、御歴代《ごれきだい》の御陵《ごりよう》の壞《こは》れたり、わからなくなつてゐるのを歎《なげ》いて、自分《じぶん》で各地《かくち》の御陵《ごりよう》を探索《たんさく》し、遂《つひ》に『山陵志《さんりようし》』といふ本《ほん》を著《あらは》したりした頃《ころ》から、御陵《ごりよう》の研究《けんきゆう》につれて起《おこ》つたのでありました。そして明治《めいじ》の時代《じだい》になつて、いろ/\日本《につぽん》の學者《がくしや》が研究《けんきゆう》をはじめ、また大阪《おほさか》の造幣局《ぞうへいきよく》へ來《き》てをつた英國人《えいこくじん》のゴーランドといふ人《ひと》などが、やり出《だ》したのでありました。ところが古《ふる》い時代《じだい》の天皇《てんのう》の御陵《ごりよう》は、日本《につぽん》の古墳《こふん》のうちで最《もつと》も大《おほ》きく、また最《もつと》も立派《りつぱ》な代表的《だいひようてき》なものでありますから、古墳《こふん》を研
前へ 次へ
全290ページ中211ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング