》へによりますと、垂仁天皇《すいにんてんのう》の時《とき》に、天皇《てんのう》の御弟倭彦命《おんおとうとやまとひこのみこと》が薨去《こうきよ》になつた際《さい》、その頃《ころ》貴人《きじん》が死《し》ぬと、家臣《かしん》などが殉死《じゆんし》といつて、お伴《とも》に死《し》ぬ習慣《しゆうかん》がありましたので、多《おほ》くの家臣《かしん》が命《みこと》のお伴《とも》をして生《い》きながら墓場《はかば》に埋《うづ》められました。ところがなか/\死《し》に切《き》れないので、その悲《かな》しい泣《な》き聲《ごゑ》が、天皇《てんのう》の御殿《ごてん》にまで聞《きこ》えて來《き》ました。それで、天皇《てんのう》は殉死《じゆんし》の風俗《ふうぞく》は甚《はなは》だ人情《にんじよう》にそむいた殘酷《ざんこく》なことであるから、これはどうしてもやめなければならぬとお考《かんが》へになりました。その後《ご》數年《すうねん》を經《へ》て、皇后日葉酢媛命《こうごうひはすひめのみこと》が御崩御《ごほうぎよ》になりました時《とき》に、野見宿禰《のみのすくね》といふ者《もの》がありまして、天皇《てんのう》に今後
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