々《かた/″\》の御墓《おはか》に多《おほ》く用《もち》ひたのでありまして、下々《しも/″\》のものはやはり、圓《まる》い塚《つか》を用《もち》ひたのであります。その大《おほ》きいものになりますと、周圍《しゆうい》が十町以上《じつちよういじよう》のものもあり、外側《そとがは》に、たいてい堀《ほり》をめぐらしてあります。この形《かたち》の塚《つか》は日本《にほん》に近《ちか》い朝鮮《ちようせん》や支那《しな》においても、けっして見《み》ることの出來《でき》ない、實《じつ》に日本獨特《につぽんどくとく》のものといつてよろしい。しかし、どうしてかような形《かたち》の塚《つか》が出來《でき》たかといふことについては、種々《しゆ/″\》議論《ぎろん》もありますが、どうもはつきりはわかりません。(第五十一圖《だいごじゆういちず》下《した》)
 また一方《いつぽう》には古《ふる》くからある圓《まる》い塚《つか》から、だん/\變化《へんか》して四角《しかく》な形《かたち》の古墳《こふん》も出來《でき》て來《き》ましたが、この四角《しかく》の形《かたち》の塚《つか》は、支那《しな》では古《ふる》く秦《し
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