ために使《つか》つたのであるか、確《たし》かにはわかりませんが、この巨石《きよせき》を昔《むかし》の人《ひと》が神《かみ》として崇拜《すうはい》したものであるか、または尊《たつと》い場所《ばしよ》の目標《もくひよう》としたものであらうと想像《そう/″\》するより外《ほか》はありません。私《わたし》は先頃《さきごろ》フランスの西海岸《にしかいがん》にあるカルナックといふ所《ところ》の大《おほ》きい立《た》て石《いし》を見《み》に行《い》つたのでありますが、今《いま》は三《みつ》つにをれて地上《ちじよう》に倒《たふ》れてゐます。元《もと》は直立《ちよくりつ》してゐたもので、高《たか》さは七八十尺《しちはちじつしやく》もあつたものですが、二百年程前《にひやくねんほどまへ》に雷《かみなり》が落《お》ちたゝめに折《を》れたのだといふことでありました。カルナックの立《た》て石《いし》より小《ちひ》さいものは、フランスに數限《かずかぎ》りなくありますが、變《かは》つて面白《おもしろ》いのは行列石《ぎようれつせき》(ありにゅまん)とでも稱《しよう》するもので、六七尺《ろくしちしやく》から十二三尺《じゆうにさんじやく》くらゐの高《たか》さの石《いし》が幾百《いくひやく》となく、一定《いつてい》の間隔《かんかく》をもつて竝《なら》び立《た》つてゐるのであります。これもなんの目的《もくてき》のために出來《でき》たものであるかはわかりませんが、やはり宗教的《しゆうきようてき》の意味《いみ》をもつて造《つく》られたものであらうと思《おも》はれます。カルナックにある行列石《ぎようれつせき》には、千二百本《せんにひやつぽん》ばかりの石《いし》が兵隊《へいたい》のように竝《なら》んでをるのがありました。(第三十一圖《だいさんじゆういちず》1)
[#「第三十圖 巨石記念物」のキャプション付きの図(fig18371_31.png)入る]
また大《おほ》きな石《いし》をもつて圓《まる》く輪《わ》のように竝《なら》べ廻《まは》してある環状列石《かんじようれつせき》(くろむろひ)といふのがあります。これには石《いし》の大小《だいしよう》は種々《しゆ/″\》ありますが、大《おほ》きなものになると圓《えん》の直徑《ちよつけい》が一町《いつちよう》くらゐもあり、石《いし》の高《たか》さは二三十尺《にさんじつしや
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