た種々《しゆ/″\》の品物《しなもの》、それは人間《にんげん》の作《つく》つた道具《どうぐ》とか武器《ぶき》の類《るい》、また建築《けんちく》、彫刻《ちようこく》、繪畫《かいが》その他《た》一切《いつさい》の品物《しなもの》、これを私共《わたしども》は遺物《いぶつ》といつてをりますが、その遺物《いぶつ》によつて人間《にんげん》の過去《かこ》の時代《じだい》の生活《せいかつ》の模樣《もよう》だとか、文化《ぶんか》の状態《じようたい》だとかを研究《けんきゆう》する學問《がくもん》であります。しかし新《あたら》しい時代《じだい》になるほど種々《しゆ/″\》の書《か》き物《もの》などが遺《のこ》つてをりますので、それによつて昔《むかし》のことがたいていわかりますから、遺物《いぶつ》ばかりで調《しら》べる必要《ひつよう》はありませんが、ずっと時代《じだい》が古《ふる》くなり、書《か》き物《もの》があまりなかつたり、またまったくない古《ふる》い時代《じだい》になりますと、どうしても遺物《いぶつ》ばかりで研究《けんきゆう》をするほか方法《ほう/\》はありません。それで考古學《こうこがく》では、遺物《いぶつ》ばかりで研究《けんきゆう》しなければならぬごく古《ふる》い時代《じだい》、あるひは遺物《いぶつ》を主《おも》に使《つか》つて研究《けんきゆう》しなければならぬ古《ふる》い時代《じだい》のことを專《もつぱ》ら調《しら》べて行《ゆ》くのであります。ですから考古學《こうこがく》の博物館《はくぶつかん》といへば、遠《とほ》い古《ふる》い時代《じだい》に人間《にんげん》の造《つく》つた品物《しなもの》を竝《なら》べて置《お》くのでありますが、大《おほ》きい家屋《かおく》だとか洞窟《どうくつ》だとかいふものになりますと、博物館《はくぶつかん》の中《なか》へ持《も》つて來《く》ることが困難《こんなん》ですから、たいていは模型《もけい》や圖面《ずめん》を陳列《ちんれつ》することになつてをります。
私《わたし》は七八歳《しちはつさい》の少年時代《しようねんじだい》から、昔《むかし》の人《ひと》の作《つく》つた石《いし》の矢《や》の根《ね》などを集《あつ》めて喜《よろこ》んだのでありましたが、その頃《ころ》私《わたし》は石《いし》の矢《や》の根《ね》は人間《にんげん》の作《つく》つたものではなく
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