が木《こ》の間《ま》がくれに建《た》つてゐるかと思《おも》ふと、面白《おもしろ》い風車《かざぐるま》があり、倉庫《そうこ》のような古《ふる》い建《た》て物《もの》が昔《むかし》のまゝに設《まう》けてあるといふ風《ふう》であります。さてその農民小屋《のうみんごや》にはひつて見《み》ると爐邊《ろへん》には薪《まき》が燃《も》やされてあつて、その地方《ちほう》の風俗《ふうぞく》をした爺《ぢい》さんがたばこ[#「たばこ」に傍点]を燻《いぶ》らしてゐたり、娘《むすめ》さんはまた絲《いと》を紡《つむ》いで熱心《ねつしん》に働《はたら》いてゐるといふ實際生活《じつさいせいかつ》を見《み》ることが出來《でき》、また料理屋《りようりや》や茶店《ちやみせ》も各地方《かくちほう》にあるそのまゝの建築《けんちく》で、料理《りようり》もまたその地方《ちほう》の名物《めいぶつ》を食《く》はせ、給仕女《きゆうじをんな》は故郷《こきよう》の風俗《ふうぞく》をしてお客《きやく》の給仕《きゆうじ》に出《で》るといふふうになつてゐます。
[#「第十二圖 スカンセン野外博物館の一部」のキャプション付きの図(fig18371_13.png)入る]
 これは單《たん》に旅人《たびゞと》を面白《おもしろ》く思《おも》はせるために設《まう》けられたものではなくて、だん/\文明《ぶんめい》に進《すゝ》むに從《したが》ひ、昔《むかし》の良《よ》い風俗《ふうぞく》や面白《おもしろ》い建築物《けんちくぶつ》が次第《しだい》に滅《ほろ》んで行《ゆ》くのを保存《ほぞん》するために出來《でき》たものであります。私《わたし》は日本《につぽん》においても、文化《ぶんか》の進《すゝ》むに從《したが》つて、田舍《ゐなか》にある古《ふる》い風俗《ふうぞく》や道具類《どうぐるい》が、次第《しだい》に滅《ほろ》び行《ゆ》くことを殘念《ざんねん》に思《おも》ふので、一日《いちにち》も早《はや》くかういふふうな民俗博物館《みんぞくはくぶつかん》が設《まう》けられることを希望《きぼう》するものであります。そして、このスエーデンの博物館《はくぶつかん》を造《つく》つた人《ひと》は、最初《さいしよ》から多《おほ》くの金錢《きんせん》を投《とう》じて着手《ちやくしゆ》したのではなく、少《すこ》しづゝ集《あつ》めて長《なが》い年月《としつき》の間《あひだ
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