《ほう》にも、やはりこれと大體《だいたい》同《おな》じようなものが、あちこちに見受《みう》けられます。(第七十七圖《だいしちじゆうしちず》)
[#「第七十七圖 北朝鮮どるめん古墳」のキャプション付きの図(fig18371_78.png)入る]
 その後《ご》、南朝鮮《みなみちようせん》には三韓《さんかん》といふ小《ちひ》さい國《くに》が分立《ぶんりつ》しまして、その内《うち》辰韓《しんかん》といふのが、新羅《しらぎ》の國《くに》になり、弁韓《べんかん》は日本《につぽん》の植民地《しよくみんち》の任那《みまな》になり、また馬韓《ばかん》といふのが百濟《くだら》になつたのであります。ところが、これらの國《くに》の文化《ぶんか》は、わが國《くに》の西南地方《せいなんちほう》である九州邊《きゆうしゆうへん》の文化《ぶんか》と大《たい》そうよく似《に》てをりまして、その時代《じだい》の古《ふる》い墓《はか》から出《で》る品物《しなもの》は、日本《につぽん》のものと大《たい》した變《かは》りはありません。中《なか》にも日本《につぽん》の植民地《しよくみんち》だつた任那《みまな》や、新羅《しらぎ》の古墳《こふん》ではことにさうでありまして、どうしても南朝鮮《みなみちようせん》にゐた人間《にんげん》は、日本《につぽん》の九州邊《きゆうしゆうへん》の人間《にんげん》と、民族《みんぞく》の上《うへ》から見《み》ても大《たい》した變《かは》りはないように思《おも》はれます。しかし朝鮮《ちようせん》には日本《につぽん》の古墳《こふん》で皆《みな》さんが見《み》たような、前方後圓《ぜんぽうこうえん》の形《かたち》をした塚《つか》はなく、たゞ圓《まる》い塚《つか》が二《ふた》つくっついた瓢箪形《ひようたんがたち》のものがあるだけです。また南朝鮮《みなみちようせん》のある所《ところ》では、埴輪圓筒《はにわえんとう》のようなものが發見《はつけん》せられ、また勾玉《まがたま》もたくさん出《で》るので餘程《よほど》日本風《につぽんふう》であるかと思《おも》ふと、また日本《につぽん》の古墳《こふん》からは支那《しな》の鏡《かゞみ》がたくさん出《で》るのにかゝはらず、朝鮮《ちようせん》の古墳《こふん》にはこの鏡《かゞみ》の姿《すがた》をまったく見《み》せないといふようなこともありまして、その間《あひだ》に
前へ 次へ
全145ページ中135ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング