多少《たしよう》異《こと》なつたところがあり、民族《みんぞく》は同《おな》じでも、すでに違《ちが》つた國《くに》をつくつてゐたと考《かんが》へられます。
[#「第七十八圖 朝鮮慶州古墳群」のキャプション付きの図(fig18371_79.png)入る]
さて、南朝鮮《みなみちようせん》には、あちらこちらに多數《たすう》の古墳《こふん》がありますが、中《なか》でも一番《いちばん》たくさん遺《のこ》つてゐるのは、元《もと》の新羅《しらぎ》の都《みやこ》慶州《けいしゆう》です。こゝは釜山《ふざん》から京城《けいじよう》へ行《ゆ》く汽車《きしや》に乘《の》つて、一時間《いちじかん》ばかりで大邱《たいきゆう》に着《つ》き、そこで下車《げしや》して自動車《じどうしや》で東《ひがし》の方《ほう》へ三四時間《さんよじかん》も走《はし》るとすぐ行《ゆ》かれる所《ところ》です。慶州《けいしゆう》には周圍《しゆうい》に低《ひく》い山《やま》があつて、一方《いつぽう》だけ少《すこ》し開《ひら》けてゐる地勢《ちせい》は、ちょうど内地《ないち》の奈良《なら》に似《に》て、まことに景色《けしき》のよいところであります。この町《まち》に着《つ》きますと、その低《ひく》い朝鮮《ちようせん》の家《いへ》が立《た》ち竝《なら》んでゐる間《あひだ》に、非常《ひじよう》に大《おほ》きい土饅頭《つちまんじゆう》がにょき/\と聳《そび》えてゐる景色《けしき》に誰《たれ》もが驚《おどろ》かされますが、これは皆《みな》、昔《むかし》の新羅《しらぎ》の王樣《おうさま》や偉《えら》い人《ひと》の古墳《こふん》なのです。その中《なか》でも一番《いちばん》立派《りつぱ》なのは、慶州《けいしゆう》の町《まち》の中《なか》にある鳳凰臺《ほうおうだい》といふので、これは高《たか》さ七十尺以上《しちじつしやくいじよう》もある大《おほ》きな圓塚《まるづか》です。この慶州《けいしゆう》の古墳《こふん》からは、今日《こんにち》までいろ/\のものが發見《はつけん》せられましたが、私共《わたしども》をびっくりさせたのは、ちょうど今《いま》から十年《じゆうねん》ばかり前《まへ》に、その鳳凰臺《ほうおうだい》の西手《にして》にある半崩《はんくづ》れの塚《つか》から出《で》た品物《しなもの》であります。私共《わたしども》は、その塚《つか》を金冠塚
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