ぶつきよう》を信《しん》ずるものも多《おほ》く出來《でき》たのですが、そのうち日本《につぽん》でも佛像《ぶつぞう》を作《つく》るようになり、それから百年《ひやくねん》もたゝない奈良朝《ならちよう》ごろになつては、その本家《ほんけ》である支那朝鮮《しなちようせん》の佛像《ぶつぞう》にも優《まさ》るとも劣《おと》らない、立派《りつぱ》な彫刻《ちようこく》が出來《でき》たのであります。
 それではこの時代《じだい》の繪畫《かいが》といふものは殘《のこ》つてゐるかといひますと、もちろん襖《ふすま》や唐紙《からかみ》に描《か》き、掛《か》け軸《じく》にした繪《え》などは、この時代《じだい》にはないばかりでなく、またあつたからとて今日《こんにち》まで殘《のこ》つてゐるはずはありません。またあのヨーロッパの舊石器時代《きゆうせつきじだい》の大昔《おほむかし》のように、洞穴《ほらあな》に描《か》いたすばらしい動物《どうぶつ》の畫《え》などはまったくなく、たゞ銅鐸《どうたく》の上《うへ》に現《あらは》してある簡單《かんたん》な子供《こども》が描《か》いたような、しかし非常《ひじよう》に面白《おもしろ》い人物《じんぶつ》動物《どうぶつ》家屋《かおく》の圖《ず》などの他《ほか》には、祝部土器《いはひべどき》やその他《た》の品物《しなもの》、または古墳《こふん》の石室横穴《せきしつよこあな》の中《なか》の壁《かべ》などに彫《ほ》りつけた、まことに粗末《そまつ》な人物《じんぶつ》や盾《たて》、矢筒《やつゝ》などの品物《しなもの》の圖《ず》が少《すこ》し殘《のこ》つてゐるだけでありまして、ごく昔《むかし》の日本人《につぽんじん》はけっして繪《え》が上手《じようず》であつたとか、好《す》きであつたとはいふことが出來《でき》ないのです。しかし、それは生《うま》れつき下手《へた》であつたといふわけではない證據《しようこ》には、後《のち》に支那朝鮮《しなちようせん》から繪畫《かいが》が傳《つた》はつて來《く》ると、すぐにそれを習《なら》つて、非常《ひじよう》に立派《りつぱ》なものを作《つく》り出《だ》すことになつたのであります。
 次《つ》ぎに裝飾《そうしよく》模樣《もよう》の類《るい》も、石器時代《せつきじだい》の土器《どき》にあるような、曲線《きよくせん》のごて/\した模樣《もよう》のまったくない
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