家《か》などの類《るい》はどういふふうなものであつたかといふと、前《まへ》にも申《まを》したとほり、屋根《やね》は草葺《くさぶ》き、茅葺《かやぶ》きあるひはまた板葺《いたぶ》き、柱《はしら》は圓《まる》い材木《もくざい》をそのまゝ、あるひは皮《かは》をむいて用《もち》ひ、柱《はしら》の下《した》には礎《いしずゑ》もない、掘立《ほつた》て小屋《ごや》といふふうなものであつたので、今日《こんにち》その跡《あと》はなにも殘《のこ》つてをりません。それゆゑ、これはたゞあの埴輪《はにわ》の家《いへ》や、そのほかの品物《しなもの》に現《あらは》れてゐる家《いへ》の形《かたち》と、歴史《れきし》や歌《うた》の書物《しよもつ》に書《か》いてあるところで想像《そう/″\》するほかには、今《いま》なほ神社《じんじや》や民家《みんか》に殘《のこ》つてゐる古《ふる》い作《つく》り方《かた》を參考《さんこう》にするほかはありません。また倉《くら》のような建《た》て物《もの》は、多《おほ》くは今日《こんにち》も奈良《なら》の正倉院《しようそういん》の御倉《おくら》などに見《み》るような、木《き》を組《く》みあはせた校倉《あぜくら》といふものであつたと思《おも》はれます。
その次《つ》ぎに彫刻《ちようこく》といふものはなんであるかといふに、これは埴輪《はにわ》の人形《にんぎよう》や動物《どうぶつ》の像《ぞう》または石人《せきじん》石馬《せきば》などがそれであります。もちろんあの埴輪《はにわ》は、お葬式《そうしき》の時《とき》に作《つく》つて墓場《はかば》に立《た》てたもので、非常《ひじよう》に骨《ほね》ををつて作《つく》つたものではありませんが、その粗末《そまつ》な下手《へた》な作《つく》り方《かた》のうちにも、この時代《じだい》の人《ひと》の無邪氣《むじやき》な素直《すなほ》な心持《こゝろも》ちがよく現《あらは》れてをります。かういふ埴輪《はにわ》の人形《にんぎよう》を作《つく》つてゐる時《とき》に、朝鮮《ちようせん》から佛教《ぶつきよう》が傳《つた》はり、お釋迦《しやか》さま、彌勒《みろく》さま、觀音《かんのん》さまのような佛樣《ほとけさま》の像《ぞう》が持《も》ちこまれたのですから、驚《おどろ》いたのはむりもないのです。これは立派《りつぱ》なお姿《すがた》だと感心《かんしん》して、佛教《
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