》でも一番《いちばん》多《おほ》いものは貝《かひ》の腕輪《うでわ》であります。これはたいてい赤貝《あかがひ》の類《るい》の貝殼《かひがら》を刳《ゑぐ》り拔《ぬ》き、その周圍《しゆうい》ばかりを殘《のこ》して前腕《まへうで》にはめ込《こ》むでので[#「はめ込《こ》むでので」はママ]ありまして、石器時代《せつきじだい》の墓場《はかば》から出《で》る人骨《じんこつ》に、この貝輪《かひわ》がそのまゝ腕骨《わんこつ》にはまつてゐるのをたび/\發見《はつけん》されました。中《なか》には一方《いつぽう》の腕《うで》に七《なゝ》つ八《やつ》つも貝輪《かひわ》をはめてゐるのもありました。この貝輪《かひわ》を腕《うで》にはめる風俗《ふうぞく》は、今日《こんにち》でも南洋《なんよう》あたりの野蠻人《やばんじん》の間《あひだ》に多《おほ》く見受《みう》けられますが、たゞその貝輪《かひわ》はその刳《ゑぐ》り孔《あな》がわりあひに小《ちひ》さいので、掌《てのひら》を通《とほ》して前腕《まへうで》にはめることは餘程《よほど》困難《こんなん》であつたことゝ思《おも》はれます。今日《こんにち》私共《わたしども》が、その貝輪《かひわ》をとつて前腕《まへうで》にはめようとすると容易《ようい》にはまりませんが、これは今日《こんにち》でも南洋《なんよう》あたりにあるように、うまく氣合《きあひ》でもつて手《て》にはめ込《こ》む專門家《せんもんか》があつたかと思《おも》はれます。このついでに他《ほか》の裝飾品《そうしよくひん》について述《の》べますが、この時分《じぶん》の人《ひと》は耳《みゝ》にも石《いし》や土《つち》で作《つく》つた大《おほ》きな耳飾《みゝかざ》りをつけたのでした。それは石《いし》の環《かん》の一方《いつぽう》が缺《か》けたような形《かたち》のものや、鼓《つゞみ》の形《かたち》をした土製品《どせいひん》で、前《まへ》に申《まを》した石器時代《せつきじだい》の墓場《はかば》から、よく人骨《じんこつ》の耳《みゝ》のあたりで發見《はつけん》されるのであります。(第四十一圖《だいしじゆういちず》)

      (ニ) 土器《どき》と土偶《どぐう》

 日本《につぽん》の石器時代《せつきじだい》には土器《どき》が餘程《よほど》盛《さか》んに使用《しよう》されてゐましたと見《み》え、どの遺跡《いせき》に
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