》では、また目録書《もくろくしよ》のほかに、陳列品《ちんれつひん》について手輕《てがる》に知《し》ることが出來《でき》るために、いろ/\の書物《しよもつ》が出版《しゆつぱん》されてあつたり、繪葉書《えはがき》なども作《つく》られてあつて、見物人《けんぶつにん》が容易《たやす》くこれを買《か》ひ受《う》けて記念《きねん》にもし、また後日《こうじつ》の想《おも》ひ出《で》の緒《いとぐち》にもなるようになつてゐます。繪葉書《えはがき》より大《おほ》きな寫眞《しやしん》の必要《ひつよう》な人《ひと》には、その希望《きぼう》にまかせてそれ/″\の寫眞《しやしん》を賣《う》るようにもなつてゐるのです。更《さら》に博物館《はくぶつかん》では外《そと》より來《き》た見物人《けんぶつにん》や學者達《がくしやたち》に研究《けんきゆう》させるばかりでなく、博物館《はくぶつかん》にゐる人《ひと》自身《じしん》がその陳列品《ちんれつひん》を利用《りよう》して研究《けんきゆう》を重《かさ》ね、それに關《かん》する立派《りつぱ》な書物《しよもつ》をどし/\出版《しゆつぱん》してゐる例《れい》がたくさんにあります。かように目録《もくろく》やそれ以外《いがい》の書物《しよもつ》が出版《しゆつぱん》せられて、研究《けんきゆう》の結果《けつか》が發表《はつぴよう》されるようにならなければ、眞《しん》の博物館《はくぶつかん》の役目《やくめ》は達《たつ》せられないのであります。大《おほ》きい博物館《はくぶつかん》をつくることは金《かね》さへあれば容易《ようい》でありますが、良《よ》い博物館《はくぶつかん》をつくることは金以外《かねいがい》更《さら》に知識《ちしき》が必要《ひつよう》でありますから、餘程《よほど》困難《こんなん》なことになります。
[#「第五圖 旅順關東廳博物館」のキャプション付きの図(fig18371_06.png)入る]
 また博物館《はくぶつかん》が學問《がくもん》をするのにいくらつごうよく出來《でき》てゐても、館内《かんない》の設備《せつび》がよく調《とゝの》はねばだめです。冬《ふゆ》の寒《さむ》い日《ひ》に暖房《だんぼう》がなかつたりしたら寒氣《かんき》のために落《お》ちついて勉強《べんきよう》することも出來《でき》ないのです。西洋《せいよう》の大《おほ》きな博物館《はくぶつかん》で
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