圓《まる》く竝《なら》んでゐることがあります。しかしその小屋《こや》の柱《はしら》だとか屋根《やね》などは朽《く》ちやすいもので造《つく》つてあつたから、今日《こんにち》ではまったく遺《のこ》つてゐません。それらは今日《こんにち》でも田舍《ゐなか》において見《み》かけます物置《ものお》きとか、肥料入《ひりようい》れの納家《なや》のような簡單《かんたん》な小屋《こや》がありますが、まあ、それと大《たい》した相違《そうい》のない程度《ていど》のものと思《おも》はれます。
ヨーロッパでは舊石器時代《きゆうせつきじだい》に氣候《きこう》が非常《ひじよう》に寒《さむ》かつたので、洞穴《ほらあな》の中《なか》に人間《にんげん》が棲《す》んでゐたことがありました。日本《につぽん》でも新石器時代《しんせつきじだい》に棲《す》むのに適當《てきとう》な洞穴《ほらあな》のあるところでは、やはりその中《なか》に住居《じゆうきよ》したことがないではありません。例《たと》へば越中《えつちゆう》氷見《ひみ》の大洞穴《だいどうけつ》の中《なか》には、今《いま》は小《ちひ》さい社《やしろ》が祀《まつ》られてありますが、その穴《あな》の中《なか》から石器時代《せつきじだい》の遺物《いぶつ》がたくさんに出《で》て來《き》ました。その他《ほか》にも各地《かくち》でかような洞穴《ほらあな》は發見《はつけん》されましたが、山腹《さんぷく》に當《あた》つて二三尺《にさんじやく》ぐらゐの穴《あな》が竝《なら》んで設《まう》けられてゐるいはゆる横穴《よこあな》といふもの、これは石器時代《せつきじだい》のものでなく、もっと後《のち》の時代《じだい》の墓《はか》でありますから、これは後《のち》にお話《はなし》をすることにいたします。
しかし石器時代《せつきじだい》の人間《にんげん》もお墓《はか》を造《つく》りました。たゞそれは今《いま》申《まを》しました横穴《よこあな》でもなく、また高《たか》い塚山《つかやま》を築《きづ》くのでもなく、普通《ふつう》は貝塚《かひづか》のある所《ところ》、あるひは人間《にんげん》の住居《じゆうきよ》の附近《ふきん》に、土地《とち》を二三尺《にさんじやく》掘《ほ》つてそこに死體《したい》を埋《うづ》めて置《お》いたのです。そして墓標《ぼひよう》のようなものを造《つく》つたかも知《し》れ
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