ですし、赤貝《あかゞひ》でも線《せん》の數《かず》が少《すこ》し變《かは》つてゐるといふようなことが、貝塚《かひづか》の貝殼《かひがら》を調《しら》べて見《み》ればわかります。また貝塚《かひづか》から發見《はつけん》された貝《かひ》で、今日《こんにち》もはやその近海《きんかい》にゐなくなつたものもありますが、これらの研究《けんきゆう》は考古學《こうこがく》の範圍《はんい》ではなく、動物學者《どうぶつがくしや》または貝類學者《かひるいがくしや》の研究《けんきゆう》に屬《ぞく》するのでありますが、皆《みな》さんが貝塚《かひづか》に出《で》かけたならば、種々《しゆ/″\》異《ことな》つた種類《しゆるい》の貝殼《かひがら》を採集《さいしゆう》して來《く》る必要《ひつよう》のあることを忘《わす》れてはなりません。
 それから貝塚《かひづか》の次《つ》ぎには、貝殼《かひがら》は見當《みあた》らぬけれどもやはり人間《にんげん》の住居《じゆうきよ》した跡《あと》と見《み》えて石器《せつき》やその他《た》の遺物《いぶつ》が土中《どちゆう》に挾《はさ》まつてゐる所《ところ》がありまするし、またそれをその後《ご》百姓《ひやくしよう》が掘《ほ》り返《かへ》し、田畑《たはた》の表面《ひようめん》に石器《せつき》や土器《どき》の散亂《さんらん》してゐる所《ところ》があります。皆《みな》さんが、もしさういふ所《ところ》へ行《い》つたならば、石《いし》の斧《をの》や石《いし》の矢《や》の根《ね》などの落《お》ちてゐるのを拾《ひろ》ふことが出來《でき》るのでありますが、昔《むかし》はたくさんにありましたけれど、近頃《ちかごろ》は百姓達《ひやくしようたち》も石器《せつき》であることを知《し》るようになり、自分《じぶん》で拾《ひろ》ひ取《と》つてしまひますし、またそれを集《あつ》めに行《ゆ》く人《ひと》も多《おほ》くなつたので、容易《ようい》に拾《ひろ》ふことが出來《でき》なくなりました。この貝塚《かひづか》の附近《ふきん》だとか、石器時代《せつきじだい》の人《ひと》が棲《す》んでゐた跡《あと》を發掘《はつくつ》する時《とき》は、をり/\石《いし》でもつて取《と》り圍《かこ》んだ爐《ろ》の跡《あと》だとか、または小屋《こや》を建《た》てた時《とき》の柱《はしら》を植《う》ゑ込《こ》んだ跡《あと》だとかゞ
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