は堅い牛肉などが出て來ると言ふ有樣であつて、此の魚もさうザラには捕れるのではないらしい。又同じ大きさの物も仲々揃はないと見え、數人の食卓にも一人には大きな奴が一つ、一人には小さな奴が二つと言ふ有樣であつた。
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 支那の料理は日本料理とは違つて、魚が餘り幅を利かしてゐないことは先刻諸君の知つてゐられる通りで、鯉魚とか※[#「喞」の「口」に代えて「魚」、第3水準1−94−46]魚とかゞスツカリ煮込まれて現はれて來る位であるが、南方では生魚も出ることがあると言ふ。先年北京の東興樓といふ料理屋で、蘇州の名物とかの生きた小蝦に味噌を付けて食ふ奴を出されたことがある。ピチ/\と跳ねる蝦を食ふのであるから、殘酷でもあり薄氣味が惡く、味を賞する餘裕もなかつた。然るに同席の支那の友人某君に「それはチブスに危險ですからお止めなさい」と言はれて、急に腹具合が惡く、それから一週間ばかり今日發病するか、明日參るかと心配したことである。後で聞くと、此の蝦は西湖の泥水の中にゐるのを捕るのであるから、丸でバチルスの培養基の樣なものであると言ふ。可恐、可恐。併し今に殘念に思ふのは、大正五年最初
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