朝鮮へ行つた時には、上水道のない土地では一切生ものを食べないことにしてゐたので、鎭南浦の宿屋で其の日に捕りたてのマグロの刺身を出されても、恐れをなして食はなかつた處、同行の小場君に「口の中で溶ける樣なマグロを何故食べぬか」と見せつけられ、唾液を呑んだ時の事である。今でもあの時食べれば宜かつたにと殘念に思ふ。
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 生魚《ローフイシユ》を食はぬ西洋人も、牡蠣だけは一向平氣に食ふことは日本人以上である。十年程前巴里へ行つた時、久々に今ま波蘭の公使をしてゐられる伊藤述史君に會つた。「今日は一つ自分の家庭でゆつくり夕食をやらう」と、電話をかけて奧樣に都合を聞かれると、お客樣へ出す食物の用意は一向ないとの事、併し「宜しい」と、伊藤君は私と一緒に其の家に歸る途中で牡蠣を買はれて行つたが、さて食卓には二人前の魚しかなく、私に牡蠣を出されたが、私は恐ろしくて生牡蠣を食べる勇氣はなく、降參して伊藤君の魚を頂戴したので、伊藤君は生牡蠣だけで食事を終られたのは、實に氣の毒な思ひをしたことであつた。併し生牡蠣の料理が出る毎に、伊藤君が舊友を歡迎する爲めに、大使館から歸り途に牡蠣を買つて
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