スコートに通じる道の角

積み捨てられた瓦とセメント屑
学校の倒れた門柱が半ばうずもれ
雨が降れば泥沼となるそのあたり
もう使えそうもない市営バラック住宅から
赤ン坊のなきごえが絶えぬその角に

君たちは立っている
だんだん朽ちる木になって
手もなく
足もなく
なにを甘え
なにをねだることもなく
だまって だまって
立っている

いくら呼んでも
いくら泣いても
お父ちゃんもお母ちゃんも
来てはくれなかっただろう
とりすがる手をふりもぎって
よその小父ちゃんは逃げていっただろう
重いおもい下敷きの
熱いあつい風の
くらいくらい 息のできぬところで
(ああいったいどんなわるいいたずらをしたというのだ)
やわらかい手が
ちいさな頚《くび》が
石や鉄や古い材木の下で血を噴《ふ》き
どんなにたやすくつぶれたことか

比治山《ひじやま》のかげで
眼をお饅頭《まんじゅう》のように焼かれた友だちの列が
おろおろしゃがみ
走ってゆく帯剣のひびきに
へいたいさん助けて!と呼んだときにも
君たちにこたえるものはなく
暮れてゆく水槽のそばで
つれてって!と
西の方をゆびさしたときも
だれも手をひいてはくれなかった

そして見まねで水槽につかり
いちじくの葉っぱを顔にのせ
なんにもわからぬそのままに
死んでいった
きみたちよ

リンゴも匂わない
アメダマもしゃぶれない
とおいところへいってしまった君たち
〈ほしがりません……
かつまでは〉といわせたのは
いったいだれだったのだ!

「斉美小学校戦災児童の霊」

だまって立っている君たちの
その不思議そうな瞳に
にいさんや父さんがしがみつかされていた野砲が
赤錆びてころがり
クローバの窪みで
外国の兵隊と女のひとが
ねそべっているのが見えるこの道の角
向うの原っぱに
高くあたらしい塀をめぐらした拘置所の方へ
戦争をすまい、といったからだという人たちが
きょうもつながれてゆくこの道の角

ほんとうに なんと不思議なこと
君たちの兎のような耳に
そぎ屋根の軒から
雑音まじりのラジオが
どこに何百トンの爆弾を落したとか
原爆製造の予算が何億ドルにふやされたとか
増援軍が朝鮮に上陸するとか
とくとくとニュースをながすのがきこえ
青くさい鉄道草の根から
錆びた釘さえ
ひろわれ買われ
ああ 君たちは 片づけられ
忘れられる
かろうじてのこされた一本の標柱も
やがて土木会社の拡張工事の土砂に埋まり
その小さな手や
頚の骨を埋めた場所は
何かの下になって
永久にわからなくなる

「斉美小学校戦災児童の霊」

花筒に花はなくとも
蝶が二羽おっかけっこをし
くろい木目に
風は海から吹き
あの日の朝のように
空はまだ 輝くあおさ

君たちよ出てこないか
やわらかい腕を交み
起き上ってこないか

お婆ちゃんは
おまつりみたいな平和祭になんかゆくものかと
いまもおまえのことを待ち
おじいさまは
むくげの木蔭に
こっそりおまえの古靴をかくしている

仆《たお》れた母親の乳房にしゃぶりついて
生き残ったあの日の子供も
もう六つ
どろぼうをして
こじきをして
雨の道路をうろついた
君たちの友達も
もうくろぐろと陽に焼けて
おとなに負けぬ腕っぷしをもった

負けるものか
まけるものかと
朝鮮のお友だちは
炎天の広島駅で
戦争にさせないための署名をあつめ
負けるものか
まけるものかと
日本の子供たちは
靴磨きの道具をすて
ほんとうのことを書いた新聞を売る

君たちよ
もういい だまっているのはいい
戦争をおこそうとするおとなたちと
世界中でたたかうために
そのつぶらな瞳を輝かせ
その澄みとおる声で
ワッ! と叫んでとび出してこい
そして その
誰の胸へも抱きつかれる腕をひろげ
たれの心へも正しい涙を呼び返す頬をおしつけ
ぼくたちはひろしまの
ひろしまの子だ と
みんなのからだへ
とびついて来い!
[#改ページ]

  影

映画館、待合、青空市場
焼けては建ち、たっては壊れ皮癬《ひぜん》のように拡がる
あんちゃんのヒロシマの
てらてら頭に油が溶ける
ノンストッキングの復興に
あちこちで見つけ添えられ
いち早く横文字の看板をかけられた
「原爆遺跡」のこれも一つ

ペンキ塗りの柵に囲まれた
銀行の石段の片隅
あかぐろい石の肌理《きめ》にしみついた
ひそやかな紋様

あの朝
何万度かの閃光で
みかげ石の厚板にサッと焼きつけられた
誰かの腰

うすあかくひび割れた段の上に
どろどろと臓腑《ぞうふ》ごと溶けて流れた血の痕《あと》の
焦《こ》げついた影

ああ、あの朝
えたいの知れぬ閃光と高熱と爆煙の中で
焔の光りと雲のかげの渦に揉《も》まれ
剥《は》げた皮膚を曳きずって這い廻り
妻でさえ子でさえ
ゆきあっても判らぬからだとなった
ひろしまの人ならば
此の影も
記憶の傷に這いずって
消えぬものであろうに

憐れに善良で
てんと無関心な市民のゆききのかたわらで
陽にさらされ雨に打たれ砂埃にうもれて
年ごとにうすれゆくその影
入口の裾に「遺跡」を置く銀行は
ざらざらと焼けた石屑ガラス屑を往来に吐き出し
大仕掛な復旧工事を完成して
巨大な全身を西日に輝かせ
すじ向いの広場では
人を集める山伏姿の香具師《やし》

「ガラスの蔽いでもしなければ消えてしまうが」と
当局はうそぶいて
きょうも
ぶらぶらやって来たあちらの水兵たちが
白靴を鳴らして立止り
てんでにシャッターを切ってゆくと
あとから近寄ってきたクツミガキの子が
(なァんだ!)という顔で
柵の中をのぞいてゆく
[#改ページ]

  友

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
黒眼鏡をとると瞼がめくれこんで癒着した傷痕《きずあと》のあいだから
にじみ出る涙があった
あの収容所で、凝《こ》りついた血をしめらせ
顔いっぱいに巻いた白布を一枚|宛《ずつ》ほどき最後のガーゼをめくると
ひとつの臓腑であった両眼が、そのままのかたちで癒《い》えてうすいしずくをしみ出し
失った妻子のことをいう指先が手巾《ハンケチ》をさぐって顫《ふる》えていた

〈ここはどこ、どんなところです?〉死体置場から運ばれて来て
最初に意識をとり戻したときと同じ言葉を
また口にしながら
太い青竹をとりなおし、ゲートルの脚先でしきいをさぐり
そろそろと出ていった

――こうされたことも共に神に免《ゆる》されねばならぬ――
――ひとり揉めば五十円になる、今に銀めしをごちそうします――
カトリックに通い、あんまを習い、すべての遍歴《へんれき》は年月の底に埋《うも》れて
ある冬近い日暮れ
束ね髪の新しい妻に手をひかれた兵隊服の姿を電車の中から見た

〈ここはどこ、どんなところです?〉それは街の騒音の中で
自分の均衡《きんこう》をたしかめるように立止り
中折帽の顔だけを空の光りへ向け
たえず妻に何かを訊《たず》ねかけているように見えた
さらに数年、ふたたび北風の街角で向うからやってくる
その姿があった
それは背中を折りまげ予備隊の群をさけながら
おどろくほどやつれた妻の胸にしっかりと片腕を支えられ
真直に風に向って
何かに追いつこうとするように足早に通っていった

黒眼鏡の奥、皮膚のしわからにじみ出るものは、とおく渇《か》れつくして
そのまま心の中を歩いてゆく
苦痛の痕跡《こんせき》であった
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

  河のある風景

すでに落日は都市に冷い
都市は入江の奥に 橋を爪立たせてひそまる
夕昏《ゆうぐ》れる住居の稀薄《きはく》のなかに
時を喪《うしな》った秋天《しゅうてん》のかけらを崩して
河流は 背中をそそけだてる

失われた山脈は みなかみに雪をかずいて眠る
雪の刃は遠くから生活の眉間《みけん》に光をあてる
妻よ 今宵もまた冬物のしたくを嘆くか
枯れた菊は 花瓶のプロムナードにまつわり
生れる子供を夢みたおれたちの祭もすぎた

眼を閉じて腕をひらけば 河岸の風の中に
白骨を地ならした此の都市の上に
おれたちも
生きた 墓標

燃えあがる焔は波の面に
くだけ落ちるひびきは解放御料の山襞《やまひだ》に
そして
落日はすでに動かず
河流は そうそうと風に波立つ
[#改ページ]

  朝

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
ゆめみる、
閃光の擦痕《さっこん》に汗をためてツルハシの手をやすめる労働者はゆめみる
皮膚のずりおちた腋臭《わきが》をふと揮発させてミシンの上にうつぶせる妻はゆめみる
蟹《かに》の脚のようなひきつりを両腕にかくして切符を切る娘もゆめみる
ガラスの破片を頚《くび》に埋めたままの燐寸《マッチ》売りの子もゆめみる、

癧青《れきせい》ウラン、カルノ鉱からぬき出された白光の原素が
無限に裂けてゆくちからのなかで
飢えた沙漠がなみうつ沃野《よくや》にかえられ
くだかれた山裾を輝く運河が通い
人工の太陽のもと 極北の不毛の地にも
きららかな黄金の都市がつくられるのをゆめみる、
働くものの憩いの葉かげに祝祭の旗がゆれ
ひろしまの伝説がやさしい唇に語られるのをゆめみる、

噴火する地脈 震動する地殻のちからを殺戮《さつりく》にしか使いえぬ
にんげんの皮をかぶった豚どもが
子供たちの絵物語りにだけのこって
火薬の一千万倍 一グラム一〇、〇〇〇、〇〇〇のエネルギーが
原子のなかから人民の腕に解き放たれ
じんみんのへいわのなかで
豊饒《ほうじょう》な科学のみのりが
たわわな葡萄《ぶどう》の房のように
露にぬれて
抱きとられる
朝を
ゆめみる
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

  微笑

あのとき あなたは 微笑した
あの朝以来 敵も味方も 空襲も火も
かかわりを失い
あれほど欲した 砂糖も米も
もう用がなく
人々の ひしめく群の 戦争の囲みの中から爆《は》じけ出された あなた
終戦のしらせを
のこされた唯一の薬のように かけつけて囁《ささや》いた
わたしにむかい
あなたは 確かに 微笑した
呻《うめ》くこともやめた 蛆《うじ》まみれの体の
睫毛《まつげ》もない 瞼のすきに
人間のわたしを 遠く置き
いとしむように湛《たた》えた
ほほえみの かげ

むせぶようにたちこめた膿《うみ》のにおいのなかで
憎むこと 怒ることをも奪われはてた あなたの
にんげんにおくった 最後の微笑

そのしずかな微笑は
わたしの内部に切なく装填《そうてん》され
三年 五年 圧力を増し
再びおし返してきた戦争への力と
抵抗を失ってゆく人々にむかい
いま 爆発しそうだ

あなたのくれた
その微笑をまで憎悪しそうな 烈しさで
おお いま
爆発しそうだ!
[#改ページ]

  一九五〇年の八月六日

走りよってくる
走りよってくる
あちらからも こちらからも
腰の拳銃を押えた
警官が 馳けよってくる

一九五〇年の八月六日
平和式典が禁止され
夜の町角 暁の橋畔《きょうはん》に
立哨《りっしょう》の警官がうごめいて
今日を迎えた広島の
街の真中 八丁堀交差点
Fデパートのそのかげ

供養塔に焼跡に
花を供えて来た市民たちの流れが
忽ち渦巻き
汗にひきつった顎紐が
群衆の中になだれこむ、
黒い陣列に割られながら
よろめいて
一斉に見上るデパートの
五階の窓 六階の窓から
ひらひら
ひらひら
夏雲をバックに
蔭になり 陽に光り
無数のビラが舞い
あお向けた顔の上
のばした手のなか
飢えた心の底に
ゆっくりと散りこむ

誰かがひろった、
腕が叩き落した、
手が空中でつかんだ、
眼が読んだ、
労働者、商人、学生、娘
近郷近在の老人、子供
八月六日を命日にもつ全ヒロシマの
市民群衆そして警官、
押し合い 怒号
とろうとする平和のビラ
奪われまいとする反戦ビラ
鋭いアピール!

電車が止る
ゴーストップが崩れる
ジープがころがりこむ
消防自動車のサイレンがはためき
二台 三台 武装警官隊のトラックがのりつける
私服警官の堵列《とれつ》するなかを
外国の高級車が侵入し
デパートの出入口はけわしい検問所とかわる

だがやっぱりビラが
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