原爆詩集
峠三吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)圧《お》しつぶされた暗闇の底で

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(例)一枚|宛《ずつ》ほどき

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――一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
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  序

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
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  八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧《お》しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂《さ》け、橋は崩《くず》れ
満員電車はそのまま焦《こ》げ
涯しない瓦礫《がれき》と燃えさしの堆積《たいせき》であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿《のうしょう》を踏み
焼け焦《こ》げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏《いかだ》へ這《は》いより折り重った河岸の群も
灼《や》けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光《かこう》の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり

兵器廠《へいきしょう》の床の糞尿《ふんにょう》のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭《いしゅう》のよどんだなかで
金《かな》ダライにとぶ蠅の羽音だけ

三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩《がんか》が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
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  死


泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨《ふく》れあがり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たち罩《こ》めた塵煙《じんえん》の
きなくさいはためきの間を
走り狂う影
〈あ
にげら
れる〉
はね起きる腰から
崩れ散る煉瓦屑の
からだが
燃えている
背中から突き倒した
熱風が
袖で肩で
火になって
煙のなかにつかむ
水槽のコンクリー角
水の中に
もう頭
水をかける衣服が
焦《こ》げ散って
ない
電線材木釘硝子片
波打つ瓦の壁
爪が燃え
踵《かかと》がとれ
せなかに貼《は》りついた鉛の溶鈑《ようばん》
〈う・う・う・う〉
すでに火
くろく
電柱も壁土も
われた頭に噴《ふ》きこむ
火と煙
の渦
〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉
抑える乳が
あ 血綿《けつめん》の穴
倒れたまま
――おまえおまえおまえはどこ
腹這いいざる煙の中に
どこから現れたか
手と手をつなぎ
盆踊りのぐるぐる廻りをつづける
裸のむすめたち
つまずき仆《たお》れる環の
瓦の下から
またも肩
髪のない老婆の
熱気にあぶり出され
のたうつ癇高《かんだか》いさけび
もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりと剥《む》けた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、脳漿《のうしょう》
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
灼《や》ける咽喉《のど》
どっと崩折《くずお》れて

めりこんで

おお もう
すすめぬ
暗いひとりの底
こめかみの轟音が急に遠のき
ああ
どうしたこと
どうしてわたしは
道ばたのこんなところで
おまえからもはなれ
し、死な
ねば

らぬ

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  炎

衝《つ》き当った天蓋《てんがい》の
まくれ拡がった死被《しひ》の
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼《あお》い炎は
煌《きらめ》く火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。

藻《も》のように ゆれゆれ
つきすすむ炎の群列。
屠殺場《とさつじょう》へ曳《ひ》かれていた牛の群は
河岸をなだれ墜《お》ち
灰いろの鳩が一羽
羽根をちぢめて橋のうえにころがる。
ぴょこ ぴょこ
噴煙のしたから這い出て
火にのまれゆくのは
四足の
無数の人間。
噴き崩れた余燼《よじん》のかさなりに
髪をかきむしったまま
硬直《こうちょく》した
呪いが燻《くすぶ》る

濃縮《のうしゅく》され
爆発した時間のあと
灼熱《しゃくねつ》の憎悪だけが
ばくばくと拡がって。
空間に堆積《たいせき》する
無韻《むいん》の沈黙

太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
羅衣《うすぎぬ》の花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ
1945, Aug. 6
まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。
この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる。
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  盲目

河岸におしつぶされた
産院の堆積《たいせき》の底から
妻に付き添っていた男ら
手脚をひきずり
石崖の伝馬《てんま》にあつまる

胸から顔を硝子片に襲われたくら闇のなか
干潟《ひがた》の伝馬は火の粉にぬりこめられ
熱に追われた盲《めし》い
河原に降りてよろめき
よろめく脚を
泥土に奪われ

仆《たお》れた群に
寂漠《せきばく》とひろしまは燃え
燃えくずれ
はや くれ方のみち汐《しお》

河原に汐はよせ
汐は満ち
手が浸り脚が浸り
むすうの傷穴から海水がしみ入りつつ
動かぬものら
顫《ふる》える意識の暗黒で
喪《うしな》われたものをまさぐる神経が
閃光の爆幕に突きあたり
もう一度
燃尽《しょうじん》する

巨大な崩壊を潜《くぐ》りこえた本能が
手脚の浮動にちぎれ
河中に転落する黒焦《くろこげ》の梁木《はりぎ》に
ゆらめく生の残像

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(嬰児《えいじ》と共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉《あさげ》)
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そして
硝子にえぐられた双眼が
血膿《ちうみ》と泥と
雲煙の裂け間
山上の
暮映《ぼえい》を溜《た》め
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  仮繃帯所にて

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち

血とあぶら汗と淋巴液《リンパえき》とにまみれた四肢《しし》をばたつかせ
糸のように塞《ふさ》いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛《ただ》れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶《くもん》の埃《ほこり》に埋める

何故こんな目に遭《あ》わねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を
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  眼

みしらぬ貌《かお》がこっちを視《み》ている
いつの世の
いつの時かわからぬ暗い倉庫のなか
歪《ゆが》んだ格子窓から、夜でもない昼でもないひかりが落ち
るいるいと重ったかつて顔だった貌。あたまの前側だった貌。
にんげんの頂部《ちょうぶ》にあって生活のよろこびやかなしみを
ゆらめく水のように映していたかお。
ああ、今は眼だけで炎えるじゅくじゅくと腐った肉塊
もげ落ちたにんげんの印形《いんぎょう》
コンクリートの床にガックリ転がったまま
なにかの力で圧しつけられてこゆるぎもしないその
蒼《あお》ぶくれてぶよつく重いまるみの物体は
亀裂《きれつ》した肉のあいだからしろい光りだけを移動させ
おれのゆく一歩一歩をみつめている。
俺の背中を肩を腕をべったりとひっついて離れぬ眼。
なぜそんなに視《み》るのだ
あとからあとから追っかけまわりからかこんで、ほそくしろい視線を射かける
眼、め、メ、
あんなにとおい正面から、あの暗い陰から、この足もとからも
あ、あ、あ
ともかく額が皮膚をつけ鼻がまっすぐ隆起し
服を着けて立った俺という人間があるいてゆくのを
じいっと、さしつらぬいてはなれぬ眼。
熱気のつたわる床《ゆか》から
息づまる壁から、がらんどうの天井《てんじょう》を支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、腋《わき》から肩へ
べたべた貼りついて永劫《えいごう》きえぬ
眼!
コンクリートの上の、筵《むしろ》の藁《わら》の、どこからか尿のしみ出す編目に埋めた
崩れそうな頬の
塗薬《とやく》と、分泌物《ぶんぴぶつ》と、血と、焼け灰のぬらつく死に貌《がお》のかげで
や、や、
うごいた眼が、ほろりと透明な液をこぼし
めくれた唇で
血泡《けっほう》の歯が
おれの名を、噛むように呼んでいる。
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    倉庫の記録

 その日
 いちめん蓮の葉が馬蹄型《ばていがた》に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。
 足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋《そかいかおく》の跡片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身へかけての火傷や、赤チン、凝血《ぎょうけつ》、油薬《ゆやく》、繃帯《ほうたい》などのために汚穢《おわい》な変貌をしてもの乞の老婆の群のよう。
 壁ぎわや太い柱の陰に桶《おけ》や馬穴《ばけつ》が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか
「助けて おとうちゃん たすけて
「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ
「五十銭! これが五十銭よ!
「のけて 足のとこの 死んだの のけて
 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目《しまめ》をおろおろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水と助けを求める。
「おじさんミズ! ミズをくんできて!」
 髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから半身を起し、へしゃげた水筒をさしあげふってみせ、いつまでもあきらめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされているおとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつかれうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折《くずお》れる。
 灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

 二日め
 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、
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