を買う事が出来るっていうの」
「まあ、場所が場所だから、僕は反対だけれど……。二年間も世間と没交渉なんだからな、口はばったいことは云えないね。僕の気持も世間からみれば馬鹿な時代おくれなものだろうが……」
「兄様、そんなことはない。どんな世の中になっても兄様はモツァルトの音楽を愛する方でなきゃ……」
 私は兄の部屋をあらためてみまわしました。中宮寺の観音像やモツァルトの肖像の額がかけてあります。その下には、外国の絵の本やカタログや、レコードの類がぎっしりあります。この夏、皮表紙のルーヴルのカタログを売ろうと云い出した時、兄は怒ったように私の瞳をにらんでおりました。そして、あのレコードを、この本をと、あれこれ買って来てくれといつも私にたのむのです。私はそのために、お金の工面をせねばなりません。一カ月でも注文品をおくらせますと、大変な権幕でおこり出してしまうのです。
「とにかく、信二郎のことは私が責任持つわ、あれだってもう、本を買ったりしなきゃならないんですものね」
 私は病院の玄関まで送りに出て来た兄と握手をして坂を降りました。悄然とたたずんでいるその兄の姿は、どうみても時代の臭いのない、
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