隣に庄野潤三氏が腰かけた。彼は、私に名刺をそっとよこして、手紙を下さいと云った。そして、あなたの名刺をくれませんか、と云った。私は、持ってませんとこたえた。しかし、名刺をつくる必要性があるということに気がついて、それは甚だよろこばしい発見であった。(だから翌日、私は、久坂葉子の名刺印刷をたのみに出かけたのだ)
 終電車で、私は神戸へ帰った。岸本通夫氏が、送って来てくれた。殆ど喋らなかった。
 私は、小説を書いて発表出来る機会が来たことに胸がはずんだ。そして、書いたものは島尾氏のところへ運んだ。
「入梅」がのった。その例会は、阪大の中の一室で行われた。いろんな批評をもらった。
「こいつは来々年の芥川賞候補になるであろう」
 と富士正晴氏がつぶやいた。私は苦笑した。芥川賞候補なるものは、十年位書いてなきゃなれるものじゃないと思っていたからだ。けれど嬉しかったに違いない。その後、私は、毎号小説を発表した。その年の暮、私は、はじめて、久坂葉子さんと、新聞記者から電話をもらった。私の記事を出すと云うのだ。私は、電話口でことわった。何故なら、その企画が、絵や舞踊やピアノをやっている令嬢の絵巻とか云
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