に大きな空襲があり、私達の住み馴れた生家はすっかり焼けてしまった。私は、自分の家に何の未練もなかった。其処にある思い出は、凡そ罪の重なりであり、不快な臭いの満ちた事件ばかりであったから。
 物干台へ出て、父と二人で市内の焼けてゆくものをみていた。それは全く壮観であった。ざあっという音と共に、殆ど飛ぶように階下へ降りた。もうあたりは火になっていた。足許で炸裂する焼夷弾の不気味な色や音。弟と女中と姉と私は、廊下を行ったり来たりした。母は祭壇の中の、みてはならないものとしてある金色の錦の袋をもっていた。父は悄然とたっていた。
「こわい、こわいよ!」
 泣きさけぶ弟はぴったり私に体をよせてふるえていた。やっとの思いで表の道路へ飛び出ることが出来た。消火することは全く不可能である。兄は工場の夜番で戻っていなかった。乳母は田舎に残っていた。私達は不思議に死に直面しながら死ぬのだとは思えないでいた。そして感傷にひたっている余裕さえなかった。道路には大勢の避難民が、ぞろぞろ歩いていた。私達も何処へという目的もなく歩き出した。何時間かたって空襲がおさまった時、父は会社へ出かけて行った。私達は同じ県下の、
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