も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい結《むす》び目《め》になった。いったいこの子の性質《せいしつ》はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の養《やしな》いをえるようになった。
何時間もわたしたちはこうやって過《す》ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり句《く》なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的《もくてき》を達《たっ》しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と生徒《せいと》の美しい協力一致《きょうりょくいっち》から、ほんとうの天才|以上《いじょう》のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、笑《わら》いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを現《あらわ》した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと望《のぞ》んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに残念《ざんねん》がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優《やさ》しい快活《かいかつ》な性質《せいしつ》からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑《びしょう》をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
アッケンのお父さんには、養子《ようし》のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件《じけん》はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望《のぞ》んでもいない出来事のためにまたもや変《か》わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。
一家の離散《りさん》
このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独《ひと》り言《ごと》を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続《ながつづ》きしそうもない」
でもなぜ不幸《ふこう》が来なければならないか、それをまえから予想《よそう》することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑《うたが》うことのできない事実のように思われてきた。
そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸《ふこう》をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失《かしつ》から来ると思って、反省《はんせい》するようになったからである。
でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過《す》ごしであったが、不幸《ふこう》が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の栽培《さいばい》をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易《ようい》で、パリ近在《きんざい》の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生《めば》えのうちから葉の形で八重《やえ》と一重《ひとえ》を見分けて、一重を捨《す》てて八重を残《のこ》すことであった。この鑑別《かんべつ》のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法《ひほう》にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋|仲間《なかま》でも、特別《とくべつ》にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回《じゅんかい》して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練《じゅくれん》のほまれの高い一人であった。それでその季節《きせつ》にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、舌《した》も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を覚《さ》ましたときには、部屋《へや》の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵《けんぺい》が、わたしを監視《かんし》するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀《ぎょうぎ》よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋《ねべや》まで行けるかどうか、かけをしようか」
不器用《ぶきよう》な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた静《しず》かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが夕飯《ゆうはん》のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの席《せき》を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
しばらく沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯《ゆうはん》にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
だがやくそくも誓言《せいごん》もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊《ほんぞん》だが、外の風に当たるともう忘《わす》れられてしまった。
でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節《きせつ》がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋《いざかや》へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝《いわ》い日《び》にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼《よ》ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝《いわ》い日《び》には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝《いわ》いをしなければならない人が限《かぎ》りなく多かった。
だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来《おうらい》のすみずみ、家いえの石段《いしだん》、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
アッケンのお父さんは、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、七月、八月の祝《いわ》い日《び》の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日《だいしゅくじつ》があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]、フクシア、きょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]などを温室や温床《おんしょう》にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要《い》るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確《たし》かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗《しっぱい》はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]の花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳《せっかいにゅう》をガラスのフレームにぬった温床《おんしょう》の下で、フクシアやきょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]がさきかけていた。うじゃうじゃと固《かた》まって草むらになっているものもあれば、頭から根元《ねもと》まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚《さ》めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足《まんぞく》
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