るの」
「ぼくたちはけさ初《はじ》めてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
 オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている限《かぎ》りでいちばんきたならしい宿屋《やどや》の一つであった。わたしはかなりきたない宿屋《やどや》をいくつか見ていた。
 でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打《ねう》ちがあった。それにわたしたちは好《す》ききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋《へや》の代《だい》はいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ晩《ばん》にまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
 夜のまくが下りた。街燈《がいとう》はともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは残《のこ》らず陰気《いんき》に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり独《ひと》りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類《しんるい》を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
 やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩《こんばん》いつもよりよけいにかれの友情《ゆうじょう》の必要《ひつよう》を感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望《きぼう》を持った。
 七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった舌《した》でなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、その冷《つめ》たい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿《すがた》を現《あらわ》した。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける望《のぞ》みのなくなったことを告《つ》げた。
 するとかれはわたしの欲《ほっ》していたありったけの同情《どうじょう》をわたしに注《そそ》いだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力《どりょく》した。そして失望《しつぼう》してはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親を探《さが》し出すことのできるようにしようと、心からちかった。
 わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。


     捜索《そうさく》

 そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸《ふこう》のおくやみを言って、かの女の夫《おっと》の亡《な》くなるまえに、なにか便《たよ》りがあったかたずねてやった。
 その返事にかの女は、夫が病院から手紙を寄《よ》こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを告《つ》げた。それはわたしを探《さが》している弁護士《べんごし》であった。なおかれはかの女に向かって、自分が確《たし》かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆《だいひつ》をしたものであった。「その弁護士《べんごし》がイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人《ふじん》やアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
 それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
 パリからボローニュまで道みち主《おも》な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船《かもつせん》に乗った。
 なんというひどい航海《こうかい》であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色《けしき》を見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生《ごしょう》だから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
 とうとう機関《きかん》が運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸《じょうりく》した。
 わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団《きょくばだん》でいっしょに働《はたら》いていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
 上陸するとすぐ巡査《じゅんさ》に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道に迷《まよ》ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
 いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所《じむしょ》の戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓《しんぞう》が鼓動《こどう》した。それでしばらくマチアに気の静《しず》まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事を述《の》べた。
 わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス氏《し》の私室《ししつ》へ通された。幸いにこの紳士《しんし》はフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることを確《たし》かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹《きょうだい》もあります」とかれは答えた。
「へえ」
 かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、忘《わす》れていました」とグレッス氏《し》が言った。「あなたの名字《みょうじ》はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
 グレッス氏のみにくい顔は好《この》ましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。


     ドリスコル家

 往来《おうらい》へ出ると、書記は辻馬車《つじばしゃ》を呼《よ》んで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者《ぎょしゃ》がこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
 マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの席《せき》を占領《せんりょう》していた。マチアはかれが御者《ぎょしゃ》に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり好《この》まないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
 わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色《けしき》はいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者《ぎょしゃ》も道がわからないのか、馬車を止めた。
 とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓《こまど》を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、困《こま》りきった御者《ぎょしゃ》との間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者《ぎょしゃ》にやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金《ちんぎん》を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を変《か》えて馬車を走らせて行った。
 わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿《きゅうでん》」と呼《よ》んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内《あんない》の先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿《きゅうでん》」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとに続《つづ》いた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめた鏡《かがみ》がどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台《はなしょくだい》と、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろ[#「ぼろ」に傍点]をかぶった人たちであった。
 案内者《あんないしゃ》は例《れい》のりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕《きゅうじ》の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。確《たし》かにかれは求《もと》めた返事を得《え》たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
 通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干《ものほ》しのつなが下がって、きたならしいぼろ[#「ぼろ」に傍点]がかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の毛《け》が肩《かた》の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体《らたい》で、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろ[#「ぼろ」に傍点]であった。路地《ろじ》にはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面《はらづら》をつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
 案内者《あんないしゃ》はふと立ち止まった。かれは道を失《うしな》ったらしかった。け
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