れていることを告《つ》げた。
わたしはかれに雌牛《めうし》をユッセルの市場で買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた獣医《じゅうい》の名前を言った。
「それは調べることにしよう」とかれは答えた。「さてなんの必要《ひつよう》でその雌牛を買ったのだ」
わたしは、それを養母《ようぼ》へ愛情《あいじょう》のしるしとしておくるつもりであったと言った。
「その女の名は」とかれはたずねた。
「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」とわたしは答えた。
「ああ、五、六年まえパリで災難《さいなん》に会った石工《いしく》の家内《かない》だな。それも知っている。調べさせよう」
「まあでも……」
わたしはすっかり困《こま》ってしまった。わたしの当惑《とうわく》を見つけて、検事《けんじ》は厳《きび》しく問いつめた。そこでわたしは、検事《けんじ》がもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの雌牛《めうし》がちっとも不意《ふい》ではなくなること、しかも不意のおくり物でおどろかすというのがわたしたちの第一の目的《もくてき》であったことを告《つ》げた。
けれどこんなことでまごまごしている最中《さいちゅう》に、バルブレンのおっかあのまだ生きていることを知って、わたしは大きな満足《まんぞく》を感じた。そのうえわたしに向けられた質問《しつもん》のあいだに亭主《ていしゅ》のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。するうちにとうとうマチアがおそれていた質問《しつもん》が出て来た。
だがどうして雌牛《めうし》を買うだけの金を得《え》たか。
わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金を積《つ》みたてたことを説明《せつめい》した。
「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」とかれはたずねた。
それからわたしは、いやでもかれに鉱山《こうざん》の椿事《ちんじ》を話さなければならなかった。
「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」とかれは声を優《やさ》しくしてたずねた。
「ぼくです」とわたしは答えた。
「それがほんとうなら、おまえはその事件《じけん》がどうして起こったか言ってみよ。わたしはその事件を残《のこ》らず新聞で読んでいる。わたしをあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、わたしにはわかる。用心しなさい」
わたしはかれがわたしたちに対してひじょうに優《やさ》しい心持ちになっていることを見ることができた。わたしはかれに鉱山《こうざん》での経験《けいけん》をくわしく語った。
話をしてしまうと、わたしはほとんど優しくなっていたかれの態度《たいど》から、すぐにもわたしたちを放免《ほうめん》してくれるかと思った。けれどもそうはしないで、かれはわたしを一人心配なまま部屋《へや》に残《のこ》して出て行った。しばらくしてかれは、マチアを連《つ》れてもどって来た。
「わたしはユッセルへ、おまえの話の真偽《しんぎ》を確《たし》かめさせにやる」とかれは言った。「幸いそれが真実《しんじつ》なら、あしたは放免してやる」
「それから雌牛《めうし》は」とマチアは心配そうにたずねた。
「おまえたちに返してやる」
「ぼくの言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「だれか雌牛《めうし》に食べ物をやっていますか。乳《ちち》をしぼっていますか」
「まあ、心配しなさんな」と検事《けんじ》が言った。
マチアは満足《まんぞく》して、にっこり笑《わら》った。
「ああ、では雌牛《めうし》の乳をしぼったら、ぼくたちも晩《ばん》にすこしいただけないでしょうか」とかれはたずねた。
「それはいいとも」
わたしたち二人だけになると、わたしはマチアに、ほとんど自分たちが拘留《こうりゅう》されていることを忘《わす》れさせるほどのえらい報告《ほうこく》をした。
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ああ、では『王子さまの雌牛《めうし》』もいばって乗りこめるわけだね」
かれはうれしがっておどりをおどったり、歌を歌いだした。かれの元気につりこまれて、わたしはかれの手をつかまえた。カピはそのときまですみっこに静《しず》かに考えこんで転《ころ》がっていたが、はね上がって後足で立ちながら、わたしたちの間に割《わ》りこんで来た。それからは三人いっしょになってめちゃくちゃにおどり回ったので、典獄《てんごく》なにが始まったかと思って、とびこんで来た。たぶんねぎが気になったのであろう。かれはわたしたちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶ変《か》わっていた。その様子でわたしはもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの証拠《しょうこ》には、しばらくたつとかれは大きなはちに牛乳《ぎゅうにゅう》を入れて持って来た。わたしたちの雌牛《めうし》の乳《ちち》である。しかもそれだけではなかった。かれは白パンの大きな切れと冷《つめ》たい子牛の肉を持って来て、これは検事《けんじ》さんからの届《とど》け物《もの》だと言った。
どうして、こうなると牢屋《ろうや》もそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、とめてくれるのだもの。
バルブレンのおっかあ
そのあくる朝早く、検事《けんじ》はあのわれわれのお友だちの獣医《じゅうい》君といっしょにやって来た。獣医君はなんでもわたしたちが放免《ほうめん》になるのを見届《みとど》けたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。
いよいよわたしたちが出て行くときに、検事《けんじ》は一|枚《まい》、お役所の印《いん》をおした紙をくれた。
「そら、これをあげるからね」とかれは言った。「どうも手形《てがた》も持たないでいなかを歩くなんというのはとんだばかな子どもたちだ。わたしは市長にたのんで、おまえたちにこの旅行券《りょこうけん》を出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは保護《ほご》してもらえる。ではごきげんよう、子どもたち」
わたしはかれと握手《あくしゅ》した。それから獣医君《じゅういくん》とも握手した。
わたしたちはみじめなざまで村へはいったが、今度はいばって出て行くのであった。雌牛《めうし》のつなを引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立ってわたしたちを見ている村のやつらを肩《かた》の上から見てやった。
わたしは雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、わたしたちはせかせか歩き出した。もう晩《ばん》がた近く、わたしたちはむかしのうちに着きかけていた。
マチアはどら焼《や》きを食べたことがなかった。そこでわたしは着いたらさっそくこしらえて食べさせるやくそくをして、とちゅうでバターを一ポンドと麦粉《むぎこ》を二ポンドに、卵《たまご》を十二買いこんだ。
わたしたちはいよいよ、初《はじ》めてヴィタリス親方が、わたしを休ませてくれた場所に着いたので、わたしはあのときこれが見納《みおさ》めだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度見下ろすことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の景色《けしき》にはなにも変《か》わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、固《かた》く固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
「情《なさ》けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が好《す》きなら、どんなにもどうどうと、凱旋《がいせん》の曲を奏《そう》しながらはいって行けるのだけれど」
わたしたちが往来《おうらい》の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり不意討《ふいう》ちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは雌牛《めうし》を牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみに積《つ》み上げて、ルセットの代わりに連《つ》れて来た雌牛を入れた。
それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこの炉《ろ》ばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
わたしはむかしいつも冬の晩《ばん》になるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、背中《せなか》を丸《まる》くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
なにも変《か》わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわした窓《まど》ガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目を丸《まる》くしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしの肩《かた》に頭をのせていた。
数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
息をつめた鼻声で、マチアの寝台《ねだい》の下にいることを思い出したわたしは、かれを呼《よ》んだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくの仲《なか》よしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女は腹《はら》をかかえて笑《わら》った。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ不意討《ふいう》ちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに不意討《ふいう》ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだ
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