がさけんだ。
「じゃあ、おまえは良心《りょうしん》に罪《つみ》をしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に懺悔《ざんげ》させろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と大力《たいりき》のコンプルーが、子どもよりもっといくじなく泣《な》いた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろに丸《まる》くなっていた罪人《ざいにん》にとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件《じょうけん》がついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平な裁《さば》きだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された判決《はんけつ》のように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、絶《た》えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくい改《あらた》める。おれはくい改める」
 やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
 かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくい改《あらた》める。おれはくい改める」
 かれはひどい熱《ねつ》にかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつを貸《か》してくれ」
 もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしを呼《よ》び止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
 しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言い続《つづ》けた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけは許《ゆる》してやれ」と「先生」が言った。
 かれはわたしがさっき背中《せなか》で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手は空《くう》をつかんだまま、かれはまっ暗な穴《あな》の中に落ちこんだ。
 水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
 半分死んだように、恐怖《きょうふ》にふるえがら、わたしは席《せき》にもどった。
 時間が過《す》ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神《せいしん》をもしずませた。わたしたちの空腹《くうふく》はひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん腹《はら》をすかした。かれは片《かた》っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹《くうふく》がどんなどん底《ぞこ》のやみにまでわたしたちを導《みちび》くかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖《きょうふ》を感じだした。ヴィタリス老人《ろうじん》は、よく難船《なんせん》した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着《ひょうちゃく》した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間《なかま》がこんなにひどい空腹《くうふく》に責《せ》められているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
 一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで相手《あいて》の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらの変《へん》な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
 ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約《けんやく》するため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
 明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識《いしき》をとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
 しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく乱《みだ》れていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし続《つづ》けていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置《かきお》きを残《のこ》して行こうと言った。
 わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆《だいひつ》した。そしててんでんがその紙に署名《しょめい》をした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっている干《ひ》からびたばらの花を送ってもらいたいという希望《きぼう》を書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
 しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水が著《いちじる》しく減《へ》っているのを見た。わたしは急いで仲間《なかま》の所へかけもどって、もうはしご段《だん》の所まで泳いで行けること、それから救助《きゅうじょ》に来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができると告《つ》げた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言い張《は》った。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
 「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気《ゆうき》がある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外《あんがい》成功《せいこう》することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
 わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎ捨《す》てて、水の中にとびこんだ。
 とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
 坑道《こうどう》の屋根の下の空き地が、自由にからだの働《はたら》けるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問《ぎもん》であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道《こうどう》の出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなり迷《まよ》ってしまう危険《きけん》があった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと確《たし》かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間《なかま》の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
 坑道《こうどう》のまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
 わたしは道をまちがえたのだ。
 仲間《なかま》の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息を吸《す》いこんで、またとびこんだが、やはり成功《せいこう》しなかった。レールはなかった。
 わたしはちがった層《そう》にはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんな呼《よ》ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。この冷《つめ》たい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしは迷《まよ》った。
 するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しい層《そう》へ出ていることは確《たし》かであった。
 そのときふとわたしは、レールが津波《つなみ》のために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
 わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
 わたしは急いで声をあてに避難所《ひなんじょ》のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間《なかま》の声が先《せん》よりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑《たてこう》の入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
 わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助《きゅうじょ》のために働《はたら》いている人たちの呼《よ》び声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮《こうふん》が過《す》ぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せる暖《あたた》かい着物が別《べつ》にないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高く積《つ》んだ。
 もうまもなく救助《きゅうじょ》の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉《ゆうへい》の最後《さいご》の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだん救《すく》い出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
 とつぜん坑道《こうどう》の水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師《ぎし》はおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
 もうわたしの
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