》いている者のほかは、よその人を入れないことになっているからと言った。
「だがおまえ、坑夫《こうふ》になりたいと思えばわけのないことだ」とかれは言った。「ほかの仕事に比《くら》べて悪いことはないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーといっしょにいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」
 わたしは、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分の志《こころざ》すことはほかにあった。それでついわたしの好奇心《こうきしん》を満《み》たすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな事情《じじょう》から、わたしは坑夫《こうふ》のさらされているあらゆる危険《きけん》を知るようになった。


     運搬夫《うんぱんふ》

 ちょうどわたしたちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、危《あぶ》なくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に絶対《ぜったい》の安静《あんせい》をあたえなければならなかった。ガスパールおじさんはがっかりしていた。なぜならもうかれの車をおしてくれる者はなかったし、かれもしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いことであった。
「じゃあぼくで代わりは務《つと》まりませんか」とかれが代わりの子どもをどこにも求《もと》めかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、わたしは言った。
「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」とかれは言った。「でもやってみてくれようと言うなら、わたしは大助かりさ。なにしろほんの五、六日使う子どもを探《さが》すというのはやっかいだよ」
 この話をわきで聞いていたマチアが言った。
「じゃあ、きみが鉱山《こうざん》に行っているうち、ぼくはカピを連《つ》れて出かけて行って、雌牛《めうし》のお金の足りない分をもうけて来よう」
 明るい野天の下で三月くらしたあいだに、マチアはすっかり人が変《か》わっていた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。ましてわたしが初《はじ》めて屋根裏《やねうら》の部屋《へや》で会ったとき、スープなべの見張《みは》りをして、絶《た》えず気のどくな痛《いた》む頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして頭痛《ずつう》がしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気がかれに健康《けんこう》と元気をあたえた。旅をしながらかれはいつも上きげんに笑《わら》っていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなることであろう。
 わたしたちはずいぶん性質《せいしつ》がちがっていた。たぶんそれでかえって性《しょう》が合うのかもしれなかった。かれは優《やさ》しい、明るい気質《きしつ》を持っていた。すこしもものにめげない、いつもきげんよく困難《こんなん》に打ちかってゆく気風があった。わたしには学校の先生のようなしんぼう気がなかったから、かれは物を読むことや音楽のけいこをするときにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに対して無理《むり》を言ったが、一度もかれはおこった顔を見せなかった。
 こういうわけで、わたしが鉱山《こうざん》に下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と芝居《しばい》の興行《こうぎょう》をして、それでわたしたちの財産《ざいさん》を増《ふ》やすという、やくそくができあがった。わたしはカピに向かってこの計画を言い聞かせると、かれはよくわかったとみえて、さっそく賛成《さんせい》の意をほえてみせた。
 あくる日、ガスパールおじさんのあとにくっついて、わたしは深いまっ暗な鉱山《こうざん》に下りて行った。かれはわたしにじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その警告《けいこく》の必要《ひつよう》はなかった。もっとも昼の光をはなれて地の底《そこ》へはいって行くということには、ずいぶんの恐怖《きょうふ》と心配がないではなかった。ぐんぐん坑道《こうどう》を下りて行ったとき、わたしは思わずふりあおいだ。すると、長い黒いえんとつの先に見える昼の光が、白い玉のように、まっ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒いやみが目の前に大きな口を開いた。下の坑道《こうどう》にはほかの坑夫《こうふ》がはしご段《だん》を下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんが働《はたら》いている二|層《そう》目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」と呼《よ》ばれている人のほかは、残《のこ》らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、若《わか》いじぶんには鉱山《こうざん》で大工《だいく》の仕事をしていたが、あるとき過《あやま》って指をくだいてからは、手についた職《しょく》を捨《す》てなければならなかったのであった。
 さて坑《こう》にはいってまもなく、わたしは坑夫《こうふ》というものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。


     洪水《こうずい》

 それはこういうことからであった。
 運搬夫《うんぱんふ》になって、四、五日してのち、わたしは車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。
 わたしの初《はじ》めの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものにこわがるといっては笑《わら》われていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。爆発《ばくはつ》だろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。
 ふと何百というねずみが、一|連隊《れんたい》の兵士《へいし》の走るように、すぐそばをかけ出して来た。すると地面と坑道《こうどう》のかべにずしんと当たるきみょうな音が聞こえて、水の走る音がした。わたしはガスパールおじさんのほうへかけてもどった。
「水が鉱坑《こうこう》にはいって来たのです」とわたしはさけんだ。
「ばかなことを言うな」
「まあ、お聞きなさい。あの音を」
 そう言ったわたしの様子には、ガスパールおじさんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。
「いっしょうけんめいかけろ。鉱坑《こうこう》に水が出た」とかれがさけんだ。
「先生、先生」とわたしはさけんだ。
 わたしたちは坑道《こうどう》をかけ下りた。老人《ろうじん》もいっしょについて来た。水がどんどん上がって来た。
「おまえさん先へおいでよ」とはしご段《だん》まで来ると老人は言った。
 わたしたちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパールおじさんは先に立った。そのあとへわたしも続《つづ》いて、それから「先生」が上がった。はしご段《だん》のてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。
「しっかり」とガスパールおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出されたらしかった、たきの勢《いきお》いがどっどっとなだれのようにおして来た。
 わたしたちは第一|層《そう》にいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。
「いよいよだめかな」と「先生」は静《しず》かに言った。「おいのりを唱《とな》えよう、こぞうさん」
 このしゅんかん、七、八人のランプを持った坑夫《こうふ》がわたしたちの方角へかけて来て、はしご段《だん》に上がろうと骨《ほね》を折《お》っていた。
 水はいまに規則《きそく》正しい波になって、坑《こう》の中を走っていた。気ちがいのような勢《いきお》いでうずをわかせながら、材木《ざいもく》をおし流して、羽《はね》のように軽《かる》くくるくる回した。
「通気竪坑《つうきたてこう》にはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプを貸《か》してくれ」と「先生」が言った。
 いつもならだれもこの老人《ろうじん》がなにか言っても、からかう種《たね》にはしても、まじめに気を留《と》める者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは精神《せいしん》を失《うしな》っていた。それでしじゅうばかにしてした老人の声に、いまはついて行こうとする気持ちになっていた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持って先に立ちながら、いっしょにわたしを引《ひ》っ張《ぱ》って行った。かれはだれよりもよく鉱坑《こうこう》のすみずみを知っていた。水はもうわたしのこしまでついていた。「先生」はわたしたちをいちばん近い竪坑《たてこう》に連《つ》れて行った。二人の坑夫《こうふ》はしかしそれは地獄《じごく》へ落《お》ちるようなものだと言って、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いて行った。わたしたちはそれからもう二度とかれらを見なかった。
 そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。大津波《おおつなみ》のうなる音、木のめりめりさける音、圧搾《あっさく》された空気の爆発《ばくはつ》する音、すさまじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。
「大洪水《だいこうずい》だ」と一人がさけんだ。
「世界《せかい》の終わりだ」
「おお、神様お助けください」
 人びとが絶望《ぜつぼう》のさけび声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傾聴《けいちょう》させずにおかないような声で言った。
「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた固《かた》まっていても、しかたがない。ともかくからだを落ち着ける穴《あな》をほらなければならない」
 かれのことばはみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は困難《こんなん》であった。なにしろわたしたちがかくれた竪坑《たてこう》はひどい傾斜《けいしゃ》になっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。
 でもどうやらやっと足だまりができた。わたしたちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパールおじさんに、三人の坑夫のパージュ、コンプルー、ベルグヌー、それからカロリーという車おしのこぞう、それにわたしであった。
 鉱山の物音は同じはげしさで続《つづ》いた。このおそろしいうなり声を説明《せつめい》することばはなかった。いよいよわれわれの最後《さいご》のときが来たように思われた。恐怖《きょうふ》に気がくるったようになって、わたしたちはおたがいに探《さぐ》るように相手《あいて》の顔を見た。
「鉱山の悪霊《あくりょう》が復《ふく》しゅうをしたのだ」と一人がさけんだ。
「上の川に穴《あな》があいて、水がはいって来たのでしょう」とわたしはこわごわ言ってみた。
「先生」はなにも言わなかった。かれはただ肩《かた》をそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間くわの木のかげで、ねぎでも食べながら論《ろん》じてみようというようであった。
「鉱山《こうざん》の悪霊《あくりょう》なんというのはばかな話だ」とかれは最後《さいご》に言った。「鉱山に洪水《こうずい》が来ている。それは確《たし》かだ。だがその洪水がどうして起こったかここにいてはわからない……」
「ふん、わからなければだまっていろ」とみんながさけんだ。
 わたしたちはかわいた土の上にいて、水がもう寄《よ》せて来ないので、すっかり気が強くなり、だれも老人《ろうじん》に耳をかたむけようとする者がなかった。さっき危険《きけん》の場合に示《しめ》した冷静沈着《れいせいちんちゃく》のおかげで、急にかれに加わった権威《けんい》はもう失《うしな》われていた。
「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」
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